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サブ・カルチャー好きの情報スクラップ。ささらほうさらと彼岸を往復。

ノウハウ・ガイド.小説系

“幸せな日々”を考える/『幸福な王子』5

幸福な王子

























●幸福な王子●
●原題;The Happy Prince
●作者;オスカー・ワイルド
●収録;The Happy Prince and Other Tales
●DATA;1888年発表。
●他の収録作品 

  ◆ 幸福な王子 - The Happy Prince
  ◆ ナイチンゲールとばら - The Nightingale and the Rose
  ◆ わがままな巨人 - The Selfish Giant
  ◆ 忠実な友だち - The Devoted Friend
  ◆ 非凡な打ち上げ花火 - The Remarkable Rocket

 今日11/30、オスカー・ワイルドの命日になる。昨日の朝、FMラジオを聴いていた。作家の小川洋子さんが毎週日曜の午前中、読書案内の番組をされているのだ。小川洋子さんの選んだ作品は『幸福な王子』だった。この作品の絵本を持っていた。何度も何度も読んだ。読んでいて、何度も何度も泣いた。読み直して、今朝もまた泣いた。今でも、何度でも、いつでも泣ける。

●物語の語り始め

 町の見下ろしような高い円柱の上に、幸福の王子の彫像がありました。彼の全身は薄い純金で覆われ、彼の両目はサファイアが、彼の剣の柄には大きなリビーが飾られていました。

 王子の像はすごく!とっても!大切されていました。「彼の美しさは風見鶏のようだね!」。芸術センスのある人だと思われたがっている市会議員はそう言い「もっとも風見鶏ほど便利ではないが」と付け加えました。それは、彼が夢想家に思われたくないから、そう言っただけ…。>>>つづきは全文『青空文庫』で読むことが出来ます。原文の一文は追記部分に引用しました。是非、検索してお読みください。

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オスカー・ワイルド










●作者の紹介
◆オスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド
 Oscar Fingal O'Flahertie Wills Wilde
◆生没年;1854年10月16日
         - 1900年11月30日




   アイルランド出身の詩人、作家、劇作家
   19世紀、世紀末の芸術家にしてトリックスター。
   男性同士の恋愛関係、年下貴族との淫行を告訴され、
   牢獄に収監される。出獄後、失意のままパリで客死。
   だが、よき夫、子供を愛する家庭人でもあった。

 彼の生涯については映画『オスカー・ワイルド』がある。男性同士の恋愛が大好きな女友達がいた。彼女に誘われ、わざわざ銀座の小さな映画館で観た。DVD化されていると思う。どんな恋愛でも、愛の形はさまざま、偏見なく観て欲しい作品。本作品と同じニュアンスが通低にあり、感慨深かった。世間体、奇麗事、常識の残酷さ痛感したのだ。※のちほど映画の感想もアップします。

■■■

 人生の最初に大泣きした童話だった。厚手のボール紙の表紙、子供向きの絵本。絵の下に大きなルビ付きの文が並んでいた。何度も読んで、大好きだけど、嫌いになった。だってネ、王子さまはツバメを利用したように思っちゃったから。王子さまって、特権階級的なわがままと思っちゃったから。ダッテネ!!、可愛いツバメは南の国に行けなくて、優しいツバメは死んじゃうのですヨ…。

 『フランダースの犬』もそうだけど、動物が人間に尽くして死んじゃう物語は大嫌いだ。だから、英文と日本文の対訳本を読んだのは、もう大人になってからのこと。自分の子供のために書いたと言われる。一般向けに子供向けに書いた物語だが、やっぱり英文は稀代の芸術家“オスカー・ワイルド”のものだった。諧謔的で、華麗で、皮肉で、風刺的!!。そして最後は本当に美しいイメージが心に刻まれる。

 昔は『幸福の〜』の題名だった。今は一般的に『幸福な〜』らしい。この助詞の変更は、王子の自身の有り様か、他者からの視点かの差だ。私は昔風の『幸福の王子』の方が何倍も好きだ。王子の存在そのものが『幸福』なのであり、王子そのものは、“幸福”になるのは、神の実在、あるいは読者の心に委ねられている。物語は御伽噺の定石で、天使が王子とツバメの魂を天国に持ち上げる。だが、オスカー自身は天使を信じてはいないのではなかろうか…。なぜなら、告訴された彼の有罪の根拠は、キリスト教的な戒律だから…。「男が男を好きになってどこが悪い!!」、彼はそう言いたかったはずだ。

■■■

誰だって、一度や2度は、
あるいは、毎日、
あるいは、いつも

   幸福になりたいと思う。

◆ ◆

さてさて、幸福ってなんだろう?

 恋人の腕に抱かれて眠る若い乙女は幸せだろうか?。
 億万を超える現金・資産を譲られたら幸福だろうか?。
 可愛い子供を抱く母は幸福だろうか?。
 美味しいものをたらふく食べること。
 美しい姿、優秀な頭脳、潤沢な資産…。

 どれも皆幸福だ。だが、すべて失うことのある幸福…。

幸福は思い出の中にしかないのかもしれない。

■■■

 大人になって感じた『幸福な王子』は、深い愛情の物語だった。

 ツバメは葦に恋していた。ツバメは王子が大好きだった。王子は生きることを辞めてから、すべてを愛することを知った。愛情は、種を超えた恋愛だったり、命を賭けても尽くしたい友愛だったり、困った人、貧しい人、飢えた人を救いたいと思う慈愛だったりする。王子の愛を、物語の登場人物は誰も気付かない。ただ人を超えたツバメと天使だけが知っている。この悲しさを誰に使えることが出来るのだろう…。心ある大人は、この物語を子供たちに読み聞かせて欲しい。子供の流した涙が、天国のオスカー・ワイルドの心に菫の花を咲かせるように思ったりする。

 そして、彼自身が『幸福な王子』になれるのだ。

 賢明な読者は知っているだろうが、王子は作者自身であり、彼の生涯の最後を予感させるものになっている。美貌、名声、人気、若い頃のオスカーは、スターそのものだ。だが、最晩年は金箔と宝石を剥がされた王子のように、世の中から見捨てられてしまう。しかし、彼が死んで109年経過した命日に、泣きながらブログを書いている東洋人がいる。

   刹那の幸福は思い出の中にしかないのかもしれない。

だが、永遠の幸福を得るヒントは『幸福の王子』の中に潜んでいた。

108回目の命日に寄せて…。

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幸福な王子・2続きを読む

ホラー好き!必読の名訳!/『怪奇小説傑作集 1 英米編 1』5

怪奇小説傑作選 

























●怪奇小説傑作集 1 英米編 1
●出版社;東京創元社 (創元推理文庫)
●翻訳者;平井呈一 他
●発売日;2006/1/31

 古典の傑作『猿の手』について感想を書いたので、こちらも紹介。


●作者と収録作品
       幽霊屋敷◆ブルワー・リットン
 エドマンド・オーム卿◆ヘンリー・ジェイムズ
  ポインター氏の日録◆M・R・ジェイムズ
        猿の手◆W・W・ジェイコブズ
      パンの大神◆アーサー・マッケン
        いも虫◆E・F・ベンスン
       秘書奇譚◆アルジャーノン・ブラックウッド
         炎天◆W・F・ハーヴァー
         緑茶◆J・S・レ・ファニュ

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 東京創元社文庫『怪奇小説傑作集 1 英米編 1 』。人気のシリーズで、現在も新版として入手できる。このシリーズに中・高校生の頃出遭ったか?、出遭わなかったか?で、その後の読書傾向は大きく変わるだろう。 それほど英米・英語圏で長く読まれている怪奇小説の掌編を、厳選・網羅したシリーズだ。

 1980年頃、角川文庫に始まる文庫本バブリーがあった。その結果、読むべき本はメディア・ミックスのベストセラーに駆逐され、本書のような基本書は、書店の棚から消えてしまった。最近、古典基本書が見直されている。本書も、版を替えて、注文すれば入手できるようになった。古い読者としては、本当に嬉しいことだ。

■■■

 この短編小説を手にしたのは高校生の頃。速読みの多読・乱読。学生時代の読書は、とにかく沢山の本を読みたかった。本を味わうと言うよりは、知りたい欲が勝っていた。大体は、一度読めば、再読することはなかった。だが、本書は何度も読み直した。私の基本的な趣味『可愛いと怖い』『聖と俗』『賢いと愚か』は読書によって養われたものだが、その中の怪奇趣味と衒学的な読書嗜好は、確実に本シリーズに教えてもらっている。

   ◆

 暖炉の明かりとグラスに残ったウイスキーの琥珀色…。

 窓の外は、寂寥としたイギリスの田舎。豪奢だった屋敷に往年の栄華はなく、老いた執事は主人の寝息に耳を澄ます。不穏で、曖昧な恐怖の気配が忍び寄る夜…。

   ◆


 本書に収録された作品たち、それなりの時代を経たものばかり。だが、ページをめくるたびに、描写の巧みさは、景色を見せ、音を聞かせ、匂いすら感じる。物語の舞台に、どれほど立ちたいと思っただろうか…。それが有名な観光地ではなく、格別美味いもの等ないイギリスの寒村であろうと…。本を片手に、「行きたい!行きたい!」と渇望した。念願叶い、スコットランドからイングランドへ南下した時のこと。貧乏旅、古い湖水地方のホテルに泊まった。シャワーの壊れた部屋の床はきしむ。深夜、国際電話をかけに、ホールに向かう細くて暗い廊下。暗がりの奥に、私は幽霊を見た(ように思った)。あの時の喜び!。それは、本書が教えてくれたものだ(笑)。

■■■

 先日、紹介した『猿の手』は、イギリス風の皮肉、ブラックユーモアに溢れた作品。本書のどの作品も良いが、とくに、私のお気に入りは、平井呈一訳のA.ブラックウッド『秘書奇譚』。少し古い日本語は、若い読者には読みにくいかもしれない。だが、翻訳者の自由裁量!!は見事の一言!!。英語独特の言い回しを日本語に置き換える時に生まれるまだるっこしさ、他言語の距離感を、平井呈一先生は楽々と乗り越える。

 原書と訳文を並べて読めば、翻訳者の力量が測れる。平井訳は、一つの頂点だ。平井氏の弟子に、紀田順一郎さんと荒俣宏さん、由良君美さんがいる。このお弟子さんたちの作品も、私の愛読書だ。平井先生ご自身は永井荷風の門人。※平井 呈一(ひらい ていいち、1902年6月16日生まれ〜1976年5月19日没)

 師匠は永井荷風!ですよ〜〜!!。
 お弟子は荒俣さまですよ〜!!。


 翻訳者的豪華絢爛!。平井氏の翻訳に小泉八雲の全訳もある。この一門にどれほど人生の愉しみを頂いたものか!!。彼らがいなかったら、本など読まなかったかもしれない(汗)。

 平井訳の『ハリ・ポタ』!!。あったら良いな〜〜〜〜!!。

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願いの叶う…、作者の意図は?/『猿の手』3

猿の手

























●猿の手
●原題;The Monkey's Paw
●作者;W・W・ジェイコブス/W.W. Jacobs
●出版;Oxford Bookworms Library
●DATA;語彙400 総語数4900 YL1.9 SSS難易度レベル1

 本書は、非英語圏に住む英語学習者のための本。語彙数は初心者向けの400だが、はらはらどきどき感は十二分に味わえる。高校生の時、創元社文庫で読み、つくづく「巧いな〜」と思った。最近の事件報道で、この話を思い出した。簡単なあらすじとあれこれ雑感など…。

●あらすじ

 穏やかに暮らすホワイト夫妻。ある日、旧知のモリス軍曹から不思議な力を持つ“猿の手”を話しを聞く。軍曹は、“猿の手”には魔力が宿っており、持ち主の“3つのねがい”をかなえてくれると言う。老いたホワイト夫妻には、家のローン200ポンドが残っていた。モリス軍曹の忠告は「願いがかなうが、それはけっして幸せなものとは限らない」だった。“猿の手”を譲られ、半信半疑のホワイト夫妻だったが、“猿の手”に200ポンドを願う。良いニュースを待っていた夫妻に届いたのは…。つづきは本書、または“怪奇小説傑作集 1 英米編 1 /(創元推理文庫) ”でお読みください。

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 先月、弟の国の人(=弟の意)と、宝くじを3枚買った。ケチ臭い小額だが、3000円は痛い。ささやかに!、3枚は900円なり。この中の1枚が高額当選すれば、「あれを買おう、これを買おう、もしかしたらペットを誰かにお願いし、旅行にも行けるかも…」。欲望はどんどん花開き(汗)、最後はラスベガスでスロットをしていた(妄想<<<笑)。900円分の「くふふ。。。」、十分楽しんだが、結果は「あはは〜」。妄想系で、また900円ぐらい買っても良いと思ったりする。

 宝くじは、3つのお願いどころか、たくさんの望みが叶う(かもしれない)。と、言っても、金銭で買えるものに限るのがミソ。金銭は努力を比例して、得る確率は上がる。だが、夢のような一攫千金は努力とリンクしないらしい。その努力と相関しない部分に、庶民の夢を叶える物語が生まれる。本作も、そんなささやかな望みを持った老夫婦の物語として始まる。最初ののぞみは、家のローンを返済する200ポンド。100年前のイギリスの老夫婦の願望だが、家のローンの負担は今も昔も変わらないようだ。この望みが、皮肉だし、笑える。

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 誰も思う。簡単に望みが叶う秘密のアイテムがあれば…。

 『猿の手』は古典的な名作だが、普遍的な問題提起をしている。作用と反作用、エネルギー不変の法則、とにかく、努力のない場所に現れた富には、マイナスの揺り返しが必ずあるらしい。類似作とは、ステーブン・キングの『ペット・セメタリー』があった。こちらの望みは『猿の手』をもとネタにしている。

 人気TVシリーズ『スーパー・ナチュラル』にも同じ発想のストーリーがあった。ラッキーな出来事のあと、同じ分量のアン・ラッキーが発生する。簡単に得たものは、簡単に失う。判っていても、努力なくして、成功を得る、欲望を満たすアイテムはないものか?。お伽話の作者は、さまざまなラッキーアイテムを作り出し、幼い読者の心にウキウキ、ワクワクする怠け者の天国を届ける。だが、『猿の手』の作者W・W・ジェイコブス/は、「そんな虫の良いラッキー・アイテムなんてないよ」と冷笑する。

■■■

 欲望を抑え、人として平穏に暮らす技は?、

 こだわりを捨てる知恵、トンマで軽く生きることではないだろうか?。日頃、大抵貧乏、最悪なことに重症の収集癖。毎日、贅沢、美食とは縁遠いが、そこそこ生活している。白馬の王子さまは、道路交通法違反になるので、今はいないらしい。ロマンチックと贅沢は仲が悪い。NHKBSの番組予告で、昔の歌謡曲が流れてきた。

       ◆

 たとえばわたしが恋を
 恋をするなら
 4つのおねがい
 聞いて
 聞いて欲しいの
 ひとつ…(中略)
 最後は秘密にしてね


     ちあきなおみ“4つのお願い”

       ◆

 もし、猿の手を入手したら?
 最初のお願いは吟味した方が良い。
 最後は、「ひみつにしてね」か…(汗)。

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ハチスの花の根のあるところ/『花雑感』3

時計草






















人の顔のようにも見え、造詣の妙を感じる。クレマチスと同じ多年草。

●とけい‐そう〔‐サウ〕【時‐計草】

:トケイソウ科の蔓性(つるせい)の多年草。高さ約4メートル。巻きひげで他に絡みつき、葉は手のひら状に深く裂けている。夏、直径8センチくらいの時計の文字盤に似た花を開く。花びらと萼(がく)は淡紅色か淡青色で、その内側に、糸状の紫色の副花冠が多数並ぶ。ペルー・ブラジルの原産で、日本には江戸時代に渡来。同属には花が赤色のホザキノトケイソウやパッションフルーツ(クダモノトケイソウ)などがある。《季 夏》【yahoo辞書より】

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 新規開店の店に、たくさんの花や観葉植物が贈られた。

 慣用句的な言い回し「開店に花を添える」。お祝いに蘭や盛花を贈るのは当たり前の慣習。だが、オーナーの奥さんは「たくさん、花があると暗くて嫌だ」と呟いた。当時、その言葉が不思議に思えて仕方なかった。今、思えば、花より「現金のお包みの方が良い」と言うことだと思える。その時は、そんな風に思えなかった。「花は暗いか?」その事が、指に刺さった小さい棘のように気にかかった。

 花について、つくづく考えを巡らす羽目になる。

 花を嫌う人?。花は弔いにも、結婚式にも、開店にも、交通事故の現場にも飾られる。ネアンデルタール人の弔いにも、花が使われてことは土壌分析で確認されている。それ以前、アフリカの原人(頭骨が大きく体が小さい未知の原人)の骨にも、花粉があったそうだ。有名なツタンカーメン王の棺の中には、王妃が捧げた青い矢車草の花束があった。花が葬儀と直結する人がいたとしても不思議ではない。


   ●花の伝説や妖精などの伝承>宗教的な側面
   ●様々な品種改良で美しくなったもの>文化的側面
   ●自然のままで美しいもの>植物学的側面

※宗教的な側面については後述した。文化的・植物学的側面に関しては、改めて関連図書を紹介したい。

■■■ 蓮

●はす【×蓮】

;《「はちす」の音変化》スイレン科の水生の多年草。根茎は節が多く、晩秋に末端部が肥厚し、蓮根(れんこん)といい、食用。葉は円形で長い柄をもち水上に出る。夏、水上に花茎を伸ばし、紅・淡紅・白色などの大きな花を開く。花のあと、花托(かたく)が肥大して逆円錐状になり、ハチの巣のような穴の中に種子ができ、食用。インドの原産で、古く中国から渡来し、池・沼などに栽培される。蓮華(れんげ)。《季 花=夏 実=秋》「夜の―に婚礼の部屋を開けはなつ/誓子」 【yahoo辞書より】

 蓮は泥の中に美しく咲く。人の人生と蓮に重ね合わせ教訓とすることがある。奇麗事では、花は咲かない。土壌が適しているか?。水は過不足ないか?。他の雑草に負けないか?。これらは、人が社会的な立場を確立することに似ていないか?。資質に合った職場、俸給の多寡、雑草は娯楽・誘惑と考えても良い。枯れた雑草は翌年の肥料になる。雑草であっても、植生に有益であることもある。

 ハチスの花の根のあるところは、大げさに言えば地球そのものなのだ。

■■■

 お釈迦さまのいる極楽浄土。

 蓮華の上には、如来や菩薩が座し、花びらの舞う中、音楽が流れる。そこに、蓮が咲き乱れる綺麗な沼がある。清い水底を覗くと、深い深い沼の底、地獄で苦しむカンダダがいた。マリアさまのいる天国では、薔薇の花が満々を咲く。信者の祈りが薔薇を咲かせると言う。

 子供の頃、中国の民話「お花の好きなおじいさん」を読んだ。花好きの爺さんのお花畑を、ならず者が荒らす。花の化身が剣を持った天女の姿となり、悪漢を懲らしめ、お爺さんを助けるお話。剣を持つ娘神の姿は、極彩色に脳裏で踊り、髭面の悪漢が逃げ惑う姿にワクワクした!!。花は女性原理の象徴であり、花弁の澄んだ色は、太陽光を選択し、反応した結果。ここにあるのは植物の意思か?。あるいは偉大なる何かの意志か?と、問えば…。多くの場合、偶然の結果と答えざるを得ない。アンデルセン童話の『親指姫』を読んだ時には、チューリップにはお姫様がいると思えた。花の花弁の奥には、何かが宿っている???。

 子供は読書や絵本と通して、花との付き合い方を学ぶ。


■■■

 花は“命”のシンボルでもある。

 花を見ることで、心が癒され、元気をチャージする。桜が咲けば、花見に行く。薔薇園では通年、人で賑わっている。田舎の年寄りは、花がなければ生きていけない?くらい、花は好きだ。自分の庭・畑に限らず、どこにでも花を植える。芽が出る、葉が育つ。つぼみがつき、花が咲く。丹精を決して裏切らない。それが植物だ。老人会の作った花壇に立て札がある。

「花を大切にしましょう!」

 数年前、前橋・高崎で“花博”があった。前橋県庁傍の国道沿いの花壇の花を、傘で叩く男性の姿が、繰り返し報道された。前橋では1000本近いチューリップの首が折られ、モラルの低下が話題になった。サラリーマンはたぶん?酔っていたのだろう。彼は思う。「何故、無用なものを大事にしなければならないのか?」花が嫌いな彼はそう思うかもしれない。

 花を折る男性は、TVに映る自分の姿を見て、どう感じただろう?。

 家族は、TVの男を父、夫と知っただろうか?。軽率な行為が、心に大きな染みを残したか?。おそらく、かの男性には、何の呵責もなく、記憶も薄れ、いつもと同じ日常が続いている。ヒステリックに報道されても、一時的なもの。所詮、そんなものなのだ。ブルドーザーが壊す自然の面積は日々増え、砂漠化を食い止める緑化ボランティアの植樹も微々ながら増えている。それが、人間の営みだ。

■■■

 10年ほど、熱狂的に花を育てていた。

 だが、花壇の土地は借地だった。地権者と理不尽なやりとりがあって、否応なく手放すことになった。ブルドーザーが多年草の花壇を壊す。100年以上、何代もの手が入っていた小さい花壇は、整地された。数日で、砂利砕石が敷かれ、駐車場になった。以来、本気で園芸を楽しむことがなくなった。

「花より団子」

 空腹で倒れそうな時、高価な切花より、おにぎり、お団子の方が何倍も良い。価値観はさまざま…。当たり前に思えた花を愛でる気持ち。現代人には、当たり前ではないのかもしれない。そのことが不思議だが、真実なのだ。

※/2006,7,22の修正版>>>加筆中

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巨大獣と共に、自然との関わりを学ぶ/『獣の奏者1・2』5

獣の奏者1
























●獣の奏者/ 闘蛇編・王獣編●
●著者;上橋 菜穂子
●出版社;講談社
●発売日;2006/11/21

最近、コインランドリーが好きだ。

 家の乾燥機は10年以上使っている。旧式のムンムンした排気、小さなドラム、一晩で綺麗に出来る衣類は限られている。安中の広いコインランドリーは、洗濯物をたたむ大きなテーブルは5台あり、TVもあって快適。一番すてきなことは、20kg以上のタオルや衣類が20分で乾燥できること!!。1時間強で、山盛りの洗濯ものが綺麗になる幸福!!。もう1つの幸せは、待ち時間に読書できること。本作『獣の奏者』は、昼のランドリーで読み出して、1・2巻を未明までに読了してしまった。

●あらすじ

【闘蛇編】
 主人公のエリンは、獣ノ医師として働く母ソヨンと、大公領にある闘蛇衆の村で育つ。エリンが幼い頃に父は亡くなり、母と一緒に父の生まれた村に住むようになる。エリンの父アッソンは、闘蛇衆の頭領の息子だった。よそ者を受け入れない闘蛇衆が、エリンの母を受け入れた理由がある。ソヨンが、闘蛇飼育に、特別な知識を持っていたからだ。ソヨンは決して他民族と交わらない“霧の民”の出身だったのだ。人を背に乗せることが出来るほど巨大な闘蛇は、普段は水辺に生息する。闘蛇衆は、大公軍のと闘蛇を飼育していた。ある日、村で飼育している闘蛇が一晩で全滅してしまう。その責任を負わされ、ソヨンは野生の闘蛇のいる沼に…。
 
【王獣編】
 真王領にあるカザルム学舎に入学を許されたエリン。獣ノ医師だった母のように、王獣の飼育を学んでいた。王獣とは、決して人に馴れることのない、気高き獣。ただ真王の言葉だけを解すると言う。エリンは蜂ジョウンと暮らした時、野性の王獣の親子を目撃していた。カザルム学舎では、病気や怪我をした王獣の世話をしていた。真王の宴で、捕らえられたばかりの王獣の子が捧げられた。その時、真王の命を狙う暗殺者の矢が、王獣の子を傷つける。カザルムに運ばれた王獣の子はリランと名付けられ、傷の治療されていた。リランは運ばれてから、まったく食事をせず、衰弱するばかりだった。エリンは…。

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 上橋菜穂子さんの作品との出会いは、中学校に勤務する図書館司書の女性に勧められて。『精霊の守り人』は「子供たちに人気がある」と教えてもらった。子供向けファンタジーを読む時は、相当に気合を入れないと読めない。脳内チャンネルを、未知のファンタジー世界の設定に合わせないと、明瞭な映像が頭の中で動かないからだ。巧い書き手でないと、細部まで映像が動かない。その点、本作は秀逸だ。

 本作『獣の奏者』も、『精霊の守り人』と同じく、何処にもない王国の物語。『ゲド戦記』と同じく西欧とは違う文化、文明をベースにしている。東洋的な趣は、中国大陸の何処かのようだが、やはり東洋でも西洋でもない、不思議な国の物語だ。この世にない国の言語も部分的に構想されている。名前は、朝鮮半島風だが、山深い地形は、ブータンやカトマンズのようでもある。衣服は、やはりブータンかな…。と、そんな風に自分なりの映像が動き出せばしめたものだ。あとは、作者の奏でる音楽を聞くように、物語に身を任せれば良い。脳の中の極上のスクリーンで、エリンと一緒に空が飛べる。

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 本作『獣ノ奏者』には、特別な魔法は出てこない。人間の能力は実際のソレと同じだ。ただ、現実にはいない極めて魅力的な獣が描かれる。“闘蛇”は騎獣として、戦の先頭に立つ。四足で大地を走れば、馬よりも早く、硬い鱗は矢を跳ね返す。空は飛ばないが、地上で一番強い調教できる獣が“闘蛇”。もう1つの主役“王獣”は、白銀に輝く翼を持つ巨大な獣。伝説では「国を救った」とされるが、今はその技術は失われている。実は、失われているのではなく、タブーとして封じられているのだ。そのタブーを守るために、秘密を知る一族がエリンの母が育った“霧の民”だった。

 本作は猛獣を=自然とした図式の物語だ。母からタブーを継承しなかったエリンは、自分の感性だけで、数百年守られた秘密を暴いてしまう。だが、エリンは楽々と秘密を暴いた訳ではない。何度も!何度も!、痛い目に遭う。これは大型犬や家禽類を飼育していても同じだ。どんなに飼いならされているように思えても、獣は獣のルール=本能に支配されている。最初、エリンは蜜蜂飼育で、自然の怖さを諭される。エリンの好奇心は、恐怖を超えてしまう。

 この感覚が、本当に微妙であり、リアルで、ワクワクする。

 社会的な“ヒト”は、どこまで自然と共存できるのだろうか?。その意味では、エリンは獣=自然界のヒトになってしまっている。

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 現在、 NHK教育TVで『獣の奏者エリン』としてアニメ放映されている。TVでは、王獣の子が生まれたところまで進んでいる。可愛いケロベロス?、猛禽類の頭が犬みたいな王獣は可愛い!!。アニメは、子供向きのキャラクターデザインされており、アニメだけの登場人物もいる。同じ上橋 菜穂子さん原作の『精霊の守り人』もNHKでアニメ化されたが、こちらはスタイリッシュで、リアルな描写が大人向けだった。個人的な好みとしては、同じ“G.I”で作って欲しかったかな〜〜〜。。。

児童文学とあなどる無かれ!。
物語の深い泉の底には、叡智が隠れている。

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人生観と言う主観と事実という客観/『神の発見』4

神の発見























●神の発見●
●著者;五木 寛之
●対談者;森 一弘
●出版社;平凡社
●DATA;257ページ 2005/08 ¥1,470

●内容(「MARC」データベースより)
 世界中で相次ぐ大地震や凶悪事件。地球の異変は人類滅亡の予兆なのか。死後の世界はあるのか。いま迷いつつ生きる現代人におくる、カトリック司教との白熱の論争。

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 本書は、父の点滴中に時間つぶしに読んでいた1冊。無性に、誰かのおしゃべりを聞いていたい時がある。頭の中に何か入れていないと、悪い考え、余分な考えに囚われる。不安で居所がなく、水の上に立っているような感覚…。

「怖くなっちゃった」

 東京タワーの展望台にあるガラスの床の上に乗った時のあの感じだ。

■ ■

 今日は病院から幾度も緊急呼び出しがあったらしい。

 私は朝から倉庫改装作業中、弟は知らない携帯電話番号には出ない。病院の呼び出しを知らなかった。いつもどおり、夕方病院に行った。なんだか、看護士さんたちが怒っている。受話器が外れていたらしく、誰かが出たように感じたらしい。「誰かが出て、無言で電話を切った」と言う。無人の家には動物たちしかいない。誰が出たのか???。違う意味で怖い。

 父の様子だが、朝から腸管からの出血があり、食止めし点滴中だった。腸管出血の原因が判らないので、出血の様子を観察。血液検査の結果しだいでは、輸血治療できる病院に転院しなければならない。今日は、病院からの連絡待機していた。血液検査の結果は治療レベルではなかったらしい。まだ若干の出血があるらしい。食事はまだ止められている。

■■■

 怖くなっちゃうとロクなことがない。読了してから、感想が書けなかった本書を引っ張り出し、再読してみる。

 五木寛之さんは一世を風靡した流行作家だ。やや過去形なのは、五木さんの仕事がすっかり方向転換しているから。その時期は、1981年に執筆活動を休止し、京都の龍谷大学に学んだ頃からだ。1985年から執筆活動を再開しているが、作風や題材は大きく変わっている。龍谷大学は浄土真宗本願寺派系の大学で、仏教史を学んでいる。本作『神の発見』でも“浄土真宗”を
ご自身の思想の中心として、カソリックの森司教さまと語り合っている。

■ ■

 森司教さまは、1938年生まれ。高校生の時に受洗、上智大学で学び、ローマの男子カルメル会神学院に留学し、ローマで司祭となる。カソリック司祭のエリート・コースのように思うのだが、話されている内容は、オーソドックスなカソリックのイメージとは大きく違っている。中からも外からもカソリックと言う巨大な宗教を見ているので、カソリックの暗黒面、教団成立の歴史の中の女性差別や、近代の戦争とのかかわりの中でのキリスト教の欺瞞など、冷静に見ておられる。

 森さんは、普通の人と同じ、疑うことを知っている。何故、彼は宗教者という職業を選択したのか?。そのことが、本書の大きなテーマになっているのだ。カソリック的な言い方をすれば、神父や修道女などの職業を選ぶことは、“召命【キリスト教で、神から召されて新しい使命を与えられることをいう。もともと「呼び出し」の意味をもつラテン語のvocatioは、神の召しとして、西欧中世のキリスト教会において聖職者になることの召しに限定されて理解され、用いられていた。;yahoo辞書から】”と呼ばれる。

 自分で選んで、神父さんやシスターになるのでないのだ。たくさんいる人類の中から、神の手足となるために呼ばれた人だけが、聖職者になる(これはあくまで古い考え方で、今はもっと主体的なものだと思う)。以前も書いたが、子供時代、教会で学び、遊んでいた。そこの仲間の幾人かが、カソリックの司祭やシスターの道を選ぶ。彼らは否応のない人生の岐路の中で、阿弥陀くじのゴールのように、“召命”を受けている。

 五木さんは森さんに、

いつ、どんな気持ちで、神の存在を受け入れたのか?

と繰り返し、問う。ある意味、この設問は無意味だ。神の実感は、否応なく訪れると思う。

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 若き日の森さんは、恩師の勧めもあり、臨済宗の道場にいた。傍目には、カソリック信者でありながら、禅寺にいると言う矛盾した生活を送っていた訳だ。たまたま来客した禅僧に、自分自身の信仰態度を問われる。当時、親の猛反対もあり、司祭への道を逡巡していた森さんは、僧の言葉に背中を押され、イタリアに向かう。

 カルメル会での生活で、森さんは「霊魂の暗夜」と呼ばれる悩みの時を過ごす。夜も寝ないで熱心に祈りをささげても、天地が動くような奇跡体験は起こらない。森さんが奇跡体験を望んでいた訳ではないだろうが、生木に火は着かないような、辛い修行時代だったと言う。辛くなって、体も壊し、もう修行を辞めて日本に帰ろうかと思うまでに悩む。明日は、修道会を出ようと思った晩、森さんは夢を見る。

「なにも心配することはない。あとは任せさい。」

夢の中でマリアさまが言った。

 その時から、森さんの悩みは消えた。本当の意味での“召命”だったのかもしれない。

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 私の旧友は、修道会入りを決心した時、礼拝堂でマリアさまが赤子を差し出す幻覚を見た。彼女の“召命”はその時にきまったと思う。彼女は今も修道女として暮らしている。

 歴史は中世から近代に移る時、人は主体的に自分自身の主となることを迫られる。突飛な比喩だが、ファンタジー小説『十二国記』の中で、景王が言う。

「私の国のすべての民は、自分自身が自分の主であって欲しい。」

 この言葉は、隷属され、忍従しなければならない状況にある人々に言った科白だ。人生に流されていると思う時、つくづく沁みる言葉だ。自分の主になることは、依存を捨て、自立することだ。自分自身の主になった時、大きな責任を背負う。何を、人生の目的にするか?。そこで人生の壁に直面せざるを得ない。森さんは、すべてを大いなる何か!!に、任せることによって、自分の本来の輝きを取り戻すことが出来た。あらゆる矛盾を飲み込む光は、深い闇の底から掴みとるのかもしれない。

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 ノーベル賞作家の川端康成さんは、栄光に包まれた作家人生の最後を自死で幕を閉じる。作家という人種は、悩み惑う暗夜航路の中で、物語を紡ぐのだろう。人気小説家でもある五木さんは、多彩な知識・経験があって、勿論、仏教の造詣も深い。だが、心のうちは、混乱した森にいるように感じた。本を売る目的で、新刊本には帯がついている。この本の帯の惹句は、明らかに間違っている。

本書の中で『神の発見』は出来たか?

 なんでも叶えれくれる都合の良い神様は、どこにもいない。だが、誰の心の奥にも、自分自身という神を探すコンパスだけはある。『神を探す地図の発見』はあったのかもしれない。闇の中、何も見えないときに、遠くに光を見つける。その光を見つけたときの安堵感…。

暗いと不平をもらすより、心に灯りをともしましょう。

 この惹句は、昔放映していたカソリック番組のCMコピー。
 宗教というものに偏見なく読むことで、発見できる何かがある本。
 悩んで、悶々としている真面目な人にお勧めですヨ(汗)。

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霊界は宗教観が国境か?/『驚異の霊界旅行・陰間の旅』3

陰間の旅

  ●驚異の霊界旅行・陰間の旅
    自分の運命を知り、好転できる道教の秘術
  ●著者;鮑 黎明
  ●出版社;日東書院本社
  ●発行日;1989/09

 『生まれ変わりの村』を読んで、内容は随分と違うが、占術研究家・風水師の鮑黎明さんの本書と思い出してしまった。物置の本箱を探せばあると思う。20年前に読んだ本の感想を記憶で書くと言うのもかなり無謀!?。

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 当時、少しは話題になったようで、雑誌“ムー”で体験レポートが掲載されたり、日本TV系のバラエティ番組のコーナーで、鮑さんの体験したのと同じ道教の「陰間」体験を放映した。陰陽の文様と八卦紋のついた黄色の道服と着た道士、狭い部屋には祭壇がある。小さい鐘は、平らな器のような形のもの。単調にカンカン、、、、カンカンと音が響く。そこで、目隠しされた依頼者は、不思議な幻覚を見る。

 “陰間”とは“霊界”の一種。台湾では、共産中国では失われた土俗的な民間宗教が生きている。今も鬼道を操る道士もいれば、霊幻道士の装束そのままに、道教の神々を召喚できる術師もいる。風水師“鮑 黎明”さんは、噂に聞いた“陰間”の旅を体験するために、台北市郊外の道院「無極円善堂」を訪れる。ここで蘇集崑龍道士のもと、身は道場にありながら、眼(心)は“あの世”を見学することになるのだ。

式手順は

●霊符を入れた布で目隠しをする。
●道士が呪文を唱えながら、鐘を叩く。

すると、不思議!不思議!、夢を見るように、高い城郭に囲まれたあの世の町を訪ねることが出来る。

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 本の記述によると、霊界に自分の“家”があるらしい。私が時たま書く夢日記にも家の記述が多い。ソウルタウンと呼んでいるいつも同じ町や、地形も登場する。この陰間の街や家も同じように思う。だが、この秘法の“陰間”はもっと!もっと?、具体的だ。そこにある家は、訪問者の運勢、運命、現在の状況を表しているらしい。ここは夢の家と同じだが、家に足りないものを守護霊、守護神に頼み、補充することが出来るらしい。結果、現在の運勢を修正することが可能?。この方法は、中国の葬儀で紙の車や、紙の家、紙のお札、召使などの紙人形を燃やしことと考え方は同じだ。葬儀で、故人のあの世の家に、さまざまなものを燃やし送る。贈られたもので、あの世の生活が豊かで充実してものになる。供養の功徳で、残った子孫の繁栄する。

 面白いのは、アガスティアの葉のように、陰間の家には、その家の主の一生の出来事を書いた巻物がある。陰間の旅で、運が良ければその巻物を読めると言う。

 おやおや???、矛盾していないか?。

 運命はすでに決まっているのか?。供物で修正できるのか?。運勢学では、命は宿命部分と、運勢部分に分けて考えるので、矛盾はないのだろう…。犬は猿になれないし、鶏は雉になれない。その程度に宿命は決定しているが、野良犬のまま保健所で殺される犬もいれば、綺麗な服を着て、可愛がられる犬もいる程度の差は、同じ日生まれの宿命にもある訳だ。この差は大きい!!。

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 占い好きな人は多い。

 この“陰間の家”は究極の占いか!?。あの世の自分の家に戻るのなら、生きているうちに、ヤマダ電機のチラシを燃やし電化製品を送り、ファッション雑誌やカタログで衣服を送り、そのほか、社交のためにお中元カタログも燃やし、建て替えも考え、高級住宅のカタログもついでに燃やし…(笑)。そんなことで、今の運勢が良くなったら相当に嬉しい(笑)。

 アマゾンなどで入手できるので、興味ある向きはご注文ください。
 読み物としては、面白いデス(笑)。

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