薄曇りの朝。

午前8時頃、携帯電話が鳴る。

「今日はよろしくネ」。

ほぼ毎朝、同じような時間に鳴る電話は陽子さんだ。

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 今日はT先生の音楽療法セミナーがある。

 私は午後4時半に、緩和ケア病棟から陽子さんを連れ出し、5時20分に新前橋駅に到着するT先生をピックアップ。会場の前橋テルサへの送迎を頼まれていた。

 陽子さんと駅前のロータリーに着くと、すでにT先生は待っていた。前回のセミナーは陽子さんの病状が悪化。入院直後の連絡に不手際があり、セミナーは中止になっていた。今日は振替で場所を公社ビルから前橋テルサに変えてのセミナーだった。

 明るい色のベージュのスラックスに大きな袖に花柄の白いブラウスがT先生の美貌に映える。陽子さんは小さな白いドットの黒のブラウスに白いスラックス姿。ショートカットの髪は銀色に光っている。元々色白の人だったが、極度の貧血で顔色は陶磁器のように白く、瞳は黒々と大きく見開かれている。

「陽子さんって、こんなに奇麗な顔立ちの人だったのだな〜」

と心の中で呟く。T先生が言う。「北村さん、ターバンをしてらっしゃらないのですね。ショートヘアがとてもお似合いです。」「そう。。。」と陽子さんが短く答えた。

 車窓の風景は見慣れた前橋だ。両毛線を車道がくぐる時、悲しい気配が煙のように漂っている。T先生が気を使って、しきりに話しかけている。「とても美味しい最中を、横浜で買ったのですよ。」小さなお菓子の箱が手元にあった。

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 前橋テルサの研修室は、金色の縁取りのピンク色の椅子が並んでいる。用意したDVDの動作チェックをした。音楽療法のバイブル的な臨床例の動画を教材に使うことになっていた。

映らない。

 このDVDがないと今日のセミナーは成立しない。T先生は大きな動揺を見せる人ではない。困っていることは判る。私は数キロ離れたアパートから、パソコンを運ぶことにした。

 6時15分。アパートに戻った私の携帯電話が鳴っている。T先生からだった。急いで会場に戻り、パソコンにDVDを入れるが認識しない。結局、セミナーの内容を変更して、声を使った音楽療法の実践を教えてもらうことになった。私はセミナーに普段は参加しないのだが、参加人数も少なく一緒に声を使ったワークに加わった。

人に伝えるために出す声
人に伝えないように出す声

声の使い分けなどの後、

皆で楽譜のないコーラスを実践。

 一人が歌い出し、それぞれ遅れて違うメロディーを合わせていく。陽子さんも加わり、一緒にメロディーを紡いで行く。細い繊細な声が皆の声に重なり、古い賛美歌のように聞こえる。

最初の曲は裏声で歌う。次は地声で歌う。

陽子さんが言った。

「草原の中の古い教会にいるような気持ちで歌ったの」

私はアイルランドの朽ちた教会の前にいるイメージを見ていた。あの時の、会場には草の香りと冷涼なヨーロッパの風がうねっていた。
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21時には病院に陽子さんを送ることが出来た。

 陽子さんは歌う前に、汗をぬぐい洗面所に薬を飲みを行った。体調が悪くなっているのではないか?、心配だった。しっかりした足取りで、病院の夜間出入り口に向かう陽子さんの後ろ姿は普段と変わらなかった。随分と痩せたこと以外は。死亡日の5日前のこと。

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映らなかったDVD

このDVDはドイツでの臨床例の実際を記録だった。

 社会的に成功していた男性が心臓手術を受けたが、意識が回復しない。医師たちは必死に治療を繰り返し、家族たちは意識不明の男性に声をかける。意識が回復しないことは死に繋がる。家族は音楽療法の専門家に、昏睡する男性への治療を依頼した。眠っているように見える男性の枕元、耳元で音楽療法士は賛美歌の中の短いメロディを繰り返し歌う。小さな声、囁くように、マイナーコードのメロディを歌った。その数日後、男性は意識を回復し、日常会話もできるようになった。

その男性は語った。

「医師たちの治療も家族の声かけも皆、自分には自分を苦しめ、死に向かわせる仕業、呪文のように感じていた。だが音楽療法士の歌声だけが、身動きできず、死の床で苦しんでいる自分を開放し、上に引き上げてくれたものだった。」

この症例は、音楽が死に向かう人を救い、安らぎを与える治癒力があると言われる根拠となっている。

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 どこの会場でも普通に映っていたDVDが何故その日映らなかったのか?

 偶然だろうが少し不思議な気もする。この文章を打っている私の側には10日前の葬儀で使われた百合が強い香りを放っている。真夏の部屋に置いた花瓶の百合が強い生命力で今も虫を呼んでいる。

 命の不思議を感じている。

金ボーダー