昨年の今頃から、知人の事務所を共同で、
デザインとカフェの併設ショップ企画に着手した。
時系列
2011年6月13日頃 知人(大家さん)事務所に行く。
2011年6月28日頃 地元商工会議所で金融公庫面談。
2011年7月18日 準備室を開設。家具什器などを搬入。
2011年7月下旬 前橋市内某信用金庫に融資相談。
2011年8月上旬 前橋市工業課に公的融資相談。
2011年8月18日頃 2回目 公庫に企画書相談。
2011年8月下旬 3回目 公庫相談>企画書相談。
2011年9月上旬 4回目 公庫相談>企画追加提出。
2011年9月下旬 5回目 公庫相談>融資申し込む書類受理。
2011年10月15日 融資金額 285万円 振り込まれる。
2011年10月16日 工事業者 発注。
2011年11月上旬 請け負い>不測の事故により入院中断。
2011年12月初旬 工事再開するが…。
2011年12月中旬 工事中断。
2011年12月下旬 工事完成せず業者支払い
2012年1月下旬 保健所検査>床の追加工事指導。
2012年1月下旬 消防局調査>防火設備追加工事指導。
2012年2月1.2日 大工工事 枠組みで中断放棄。
2012年2月3日 自力内装工事着手。
2012年3月18日 工事途中>開店延期。
2012年4月11日 消防局検査 許可受理。
2011年4月上旬 テーブル天板に大理石加工。
2012年4月13日(金) 未完成部分もありながら営業開始。
2012年6月1日 夜部門 スタッフ長期入院から退院
2012年6月24日(日) 夜部門 バー開店パーティ
********************************************
個人年金を担保に追加融資を3度追加。
総工事費>260万円
家具/備品/食器費>100万円
交通費/雑費>12ヶ月分 100万円
*********************************************
アバウト、こんな感じでブログの空白は埋まっている。
昨年は2月から今年の1月までインターフェロンとリパビリンの治療をしていた。インターフェロン週1回と毎日に服薬治療>後半はボロボロの副作用。注射後半は自己免疫は最低の危険ゾーンに突入。入浴すると感染症にかかる状態になってしまった。
そんな体調で自力工事を黙々と70日余した。
材料の調達から切り込み、面取り、塩ビタイルを貼り、古い床材にサンダーをかけオイルで仕上げ、カウンターバック天板に大理石を貼り、可動棚を作り、面材で加工した。その作業を不穏みている外野の皆さんには、見放され状態。それでも途中で止めようとは思わなかった。
◆◆◆
まだ開店して2ヶ月だ。
ワタシは移転を考えている。夜のバー運営はこの店舗の大家さんの弟さん。昼のカフェの売り上げは一ヶ月5万程度>赤字50万余。傷口は小さい方が治癒しやすい。バーの開店パーティの準備中、非常に空虚な気持ちに襲われた。少ない資金でこぎ着けた店舗内装だ。500万や1000万上の工事を比較したら、荒いところもあったり、不十分なところもある。だが決してチャチで安易なものにはなっていない。
バー運営スタッフから、バーとしてそぐわない箇所を複数指摘された。バーとカフェの併設に限界を感じた。自分が企画したのはカフェを併設したデザイン事務所であり、夜の空いた時間にバーテンダー経験者の大家の弟さんがバーをする計画だった。店舗の1/4は大家さんの店舗設計事務所になっている。酒類の仕入れをしながら、「何か違う」と気持ちが悪くなってしまった。一応、企画書どおりだが、大家さんと弟さんでここの場所は占められている。
◆◆◆
そんな考えの時に、
「他人のふんどしで相撲をとっている」
と、ここの店舗で当初参加予定だった男性から笑顔で言われた。
まったくそうなのだ。ワタシはここの場所の家賃や権利金をまだ支払う能力がない。ご好意で無理矢理借りた状態なのだ。そのご好意もご厚意も尽き果てている。
「死ぬ気で頑張っているところを見せてくれ」
と大家さんが言う。
健康であれば、「死ぬ気で頑張れ」と言うアドバイスを真摯に受け止めることも出来るかもしれない。だが、ワタシは死を観ている。自分の死も間近まで迫っていた。手術やその後に治療を経て、現在の状態を維持している。
「死ぬ気で頑張ると言う言葉は無慈悲に思える」
と、大家さんに言う。死ぬ気では頑張れない>だがこの感覚は悪性腫瘍の宣告をリアルに感じたことのない人には判らないのだろう。
死んだら頑張れないのだ。
健康維持の管理をしなければ、頑張れないのだ。
メンタル維持をしなければ、頑張れないのだ。
ワタシはそう易々と死ぬ気では頑張れない。障害を持っている弟と常に一緒にいる責任がある。その立ち位置での仕事であるからこそ、4人で計画して始めた店舗だった。ワタシ以外の3人は多額の借金を抱えているから、ワタシが資金を調達した経緯もある。
◆◆◆
終わった。。。。。。
一つの仕事は終わった感覚がある。
カード・リーディングを夜のカフェ時間で始める。新しい仕事は、店舗で借り入れした借財の返済だ。そのためにカフェもすれば、デザインもするし、メンタル維持を補助するカードリーディングもする。入金するなら熊の檻に入るのも厭わない覚悟ならして良い。だが、それは死ぬ気で頑張るのとは別の話。
だからカフェは辞めない。
反省点は、周囲の批評、あるいは悪口雑言的な軽口で
自分の人間としての軸がぶれていたことだ。
◆◆◆
人にはそれぞれ心の箱がある。
心の中には大きな自然や山や川、小鳥のさえずり、そしてたくさんの死んだ人たちの記憶が住んでいる。絵を描きたいと思う。歌を歌いたいと思う。もっと、もっと幸せで充実した日を送りたいと思う。それには健康でありたいと切に思う。それが16キロ余もあった腫瘍を摘出し、血圧が200以上を測定され、c型肝炎で肝臓検査値が500を超えたことのあるワタシの野望だ。あのまま病院の手術台で死んでいても不思議ではなかった。いつも気力だけは整えたいと万全の努力をしている。
死ぬ気では頑張れない。
もっと元気に生きるために頑張りたい。
◆◆◆
大空に鳥が飛ぶ
山は緑に花も咲く
誰かが誰かを愛している
傍らの本と猫の体温を感じる皮膚
だから生きているって思う
心の箱に鳥の棲む木を育てる算段
これからまた追加融資の申し込み。
戦え!人生!戦え!自分!。
GO! and FIGHT!.
デザインとカフェの併設ショップ企画に着手した。
時系列
2011年6月13日頃 知人(大家さん)事務所に行く。
2011年6月28日頃 地元商工会議所で金融公庫面談。
2011年7月18日 準備室を開設。家具什器などを搬入。
2011年7月下旬 前橋市内某信用金庫に融資相談。
2011年8月上旬 前橋市工業課に公的融資相談。
2011年8月18日頃 2回目 公庫に企画書相談。
2011年8月下旬 3回目 公庫相談>企画書相談。
2011年9月上旬 4回目 公庫相談>企画追加提出。
2011年9月下旬 5回目 公庫相談>融資申し込む書類受理。
2011年10月15日 融資金額 285万円 振り込まれる。
2011年10月16日 工事業者 発注。
2011年11月上旬 請け負い>不測の事故により入院中断。
2011年12月初旬 工事再開するが…。
2011年12月中旬 工事中断。
2011年12月下旬 工事完成せず業者支払い
2012年1月下旬 保健所検査>床の追加工事指導。
2012年1月下旬 消防局調査>防火設備追加工事指導。
2012年2月1.2日 大工工事 枠組みで中断放棄。
2012年2月3日 自力内装工事着手。
2012年3月18日 工事途中>開店延期。
2012年4月11日 消防局検査 許可受理。
2011年4月上旬 テーブル天板に大理石加工。
2012年4月13日(金) 未完成部分もありながら営業開始。
2012年6月1日 夜部門 スタッフ長期入院から退院
2012年6月24日(日) 夜部門 バー開店パーティ
********************************************
個人年金を担保に追加融資を3度追加。
総工事費>260万円
家具/備品/食器費>100万円
交通費/雑費>12ヶ月分 100万円
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アバウト、こんな感じでブログの空白は埋まっている。
昨年は2月から今年の1月までインターフェロンとリパビリンの治療をしていた。インターフェロン週1回と毎日に服薬治療>後半はボロボロの副作用。注射後半は自己免疫は最低の危険ゾーンに突入。入浴すると感染症にかかる状態になってしまった。
そんな体調で自力工事を黙々と70日余した。
材料の調達から切り込み、面取り、塩ビタイルを貼り、古い床材にサンダーをかけオイルで仕上げ、カウンターバック天板に大理石を貼り、可動棚を作り、面材で加工した。その作業を不穏みている外野の皆さんには、見放され状態。それでも途中で止めようとは思わなかった。
◆◆◆
まだ開店して2ヶ月だ。
ワタシは移転を考えている。夜のバー運営はこの店舗の大家さんの弟さん。昼のカフェの売り上げは一ヶ月5万程度>赤字50万余。傷口は小さい方が治癒しやすい。バーの開店パーティの準備中、非常に空虚な気持ちに襲われた。少ない資金でこぎ着けた店舗内装だ。500万や1000万上の工事を比較したら、荒いところもあったり、不十分なところもある。だが決してチャチで安易なものにはなっていない。
バー運営スタッフから、バーとしてそぐわない箇所を複数指摘された。バーとカフェの併設に限界を感じた。自分が企画したのはカフェを併設したデザイン事務所であり、夜の空いた時間にバーテンダー経験者の大家の弟さんがバーをする計画だった。店舗の1/4は大家さんの店舗設計事務所になっている。酒類の仕入れをしながら、「何か違う」と気持ちが悪くなってしまった。一応、企画書どおりだが、大家さんと弟さんでここの場所は占められている。
◆◆◆
そんな考えの時に、
「他人のふんどしで相撲をとっている」
と、ここの店舗で当初参加予定だった男性から笑顔で言われた。
まったくそうなのだ。ワタシはここの場所の家賃や権利金をまだ支払う能力がない。ご好意で無理矢理借りた状態なのだ。そのご好意もご厚意も尽き果てている。
「死ぬ気で頑張っているところを見せてくれ」
と大家さんが言う。
健康であれば、「死ぬ気で頑張れ」と言うアドバイスを真摯に受け止めることも出来るかもしれない。だが、ワタシは死を観ている。自分の死も間近まで迫っていた。手術やその後に治療を経て、現在の状態を維持している。
「死ぬ気で頑張ると言う言葉は無慈悲に思える」
と、大家さんに言う。死ぬ気では頑張れない>だがこの感覚は悪性腫瘍の宣告をリアルに感じたことのない人には判らないのだろう。
死んだら頑張れないのだ。
健康維持の管理をしなければ、頑張れないのだ。
メンタル維持をしなければ、頑張れないのだ。
ワタシはそう易々と死ぬ気では頑張れない。障害を持っている弟と常に一緒にいる責任がある。その立ち位置での仕事であるからこそ、4人で計画して始めた店舗だった。ワタシ以外の3人は多額の借金を抱えているから、ワタシが資金を調達した経緯もある。
◆◆◆
終わった。。。。。。
一つの仕事は終わった感覚がある。
カード・リーディングを夜のカフェ時間で始める。新しい仕事は、店舗で借り入れした借財の返済だ。そのためにカフェもすれば、デザインもするし、メンタル維持を補助するカードリーディングもする。入金するなら熊の檻に入るのも厭わない覚悟ならして良い。だが、それは死ぬ気で頑張るのとは別の話。
だからカフェは辞めない。
反省点は、周囲の批評、あるいは悪口雑言的な軽口で
自分の人間としての軸がぶれていたことだ。
◆◆◆
人にはそれぞれ心の箱がある。
心の中には大きな自然や山や川、小鳥のさえずり、そしてたくさんの死んだ人たちの記憶が住んでいる。絵を描きたいと思う。歌を歌いたいと思う。もっと、もっと幸せで充実した日を送りたいと思う。それには健康でありたいと切に思う。それが16キロ余もあった腫瘍を摘出し、血圧が200以上を測定され、c型肝炎で肝臓検査値が500を超えたことのあるワタシの野望だ。あのまま病院の手術台で死んでいても不思議ではなかった。いつも気力だけは整えたいと万全の努力をしている。
死ぬ気では頑張れない。
もっと元気に生きるために頑張りたい。
◆◆◆
大空に鳥が飛ぶ
山は緑に花も咲く
誰かが誰かを愛している
傍らの本と猫の体温を感じる皮膚
だから生きているって思う
心の箱に鳥の棲む木を育てる算段
これからまた追加融資の申し込み。
戦え!人生!戦え!自分!。
GO! and FIGHT!.