親友から

「人ごとのようにブログ書いてるよね〜」
「本人とまったくイメージが合わないよね〜」

と、云われたのは昨日の朝のこと。

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 不幸と云うできごとに
 ある一定の法則があるのなら、
 私は不幸な出来事だけで
 人生の半分は構成されている。

 だが、本人は余りに不可思議な不幸の連続なので、他人事のようにさまざまな災いを眺めている。8月末に火事を発見し、人命救助をした。その翌日から3件の火事を目撃して。目の前で車が衝突したこと=いっぱい。運転していると、頭上で必ず大型の鳥が旋回していく。子供は私を不思議なもののように見る。泣く訳ではなく、言葉をかけると異様になつかれる。

 そんなこんなで、不幸団子な私は意外と毎日楽しく暮らしている(らしい)。お金はないので、療養費を借りようと診断書をお願いしたら、診断書が先生の机の上から紛失し、申請がどんどん遅れていく。父の中皮腫公務災害の申請は、担当者が4月に転勤になり振り出しに戻り、再度の診断書は3ヶ月も待っているのに、病院が書いてくれない。ついには都内のユニオン系のNPOに相談することになった。なんだか全国的にも重要な事案なんだそうだ(汗)。

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 生活苦ってほど苦痛じゃないが、実際、笑っちゃう程、現金がない。私自身はまだHCVの公的援助治療中で普通の就職は出来ない(病人&年だしね〜)。心の友の鸚鵡は死んだし、子猫は悪性リンパ腫で死んだし、犬くんは悪性貧血の難病にかかり、猫は大怪我して縫合手術から半年経過している傷は治らない。

 仕方ないので6月から自営の再開準備をしていた。

 毎日、朝帰りに付き合わせていたら、当たり前のように弟は発狂し、次は家に泥棒的なものは入り込み、これでもか!って感じで、書けないような出来事が起こる。

 そんな不思議極まり日常を送っていると、

 私はもう本当は死んでいるのではないのなか…と思ったりする。
 ここは小さい不幸が毎日起きる小ちゃな地獄なんじゃないのかな…。

 ナ〜ンテ思うのも、一種の楽しみのようなものだったりする。

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 そんな毎日の続く中、父が死んで1年経った。

 昨晩、こんな夢を見た。

 今はもうない茶の間の父の定位置に父が元気な様子で座っている。お稲荷さんを食べている。食事の前に、間食する習慣があり、お稲荷さんは好物だった。私と弟は、死んだはずの父のあまりに普通の様子に驚きながら、

「お父さん、死んだの覚えている?」

と訊いてみた。

父は

「お父さんは元気だよ」

と答える。

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 やっぱり、ここはあの世とこの世の中間なんだな

そんな風に実感した。親も死んで、長年心を慰めてくれた動物も死んで、毎日暮らす現金にも事欠いていても、肉体を失うまで何かしらの形で命を維持していかなければならない。でも、何があっても、

なんていうこともなし

と思うのかもしれない。

彼岸とこの世が歩いて続いているような…、そんな気持ちが最近確信に変わっている。

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 とりあえず、私は明日も生きるための雑用と金策に奔走する。
 それまで、寝ておこうかと、人ごとのように考えるのだった。

 うふふ、、、、、。