活字はこう読む? 雑・誌・洪・積・世

サブ・カルチャー好きの情報スクラップ。ささらほうさらと彼岸を往復。

December 2008

激動の2008年も終わり!1

 12/24から偏頭痛の毎日。頭痛薬が効かなくなって焦っている(爆)。今年最後にあれこれ無礼講的な雑感です。 
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今年も終わりの英語教室3

 なんてことない日常雑記です。  続きを読む

クリスマス・イブの訃報1

昨日はクリスマス・イブ。続きを読む

2008.December/『“I robot(われはロボット)”特集』5

鉄腕アトム/1





















 ♪空を超えて〜 ラララ(略)
 ♪科学の子〜

●ロボット工学三原則(Three Laws of Robotics)●
●提唱者:アイザック・アシモフ(SF作家)

●第一条
 ロボットは人間に危害を加えてはならない。
 また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

●第二条
 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。
 ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。

●第三条
 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、
 自己をまもらなければならない。

    (引用;『われはロボット』小尾芙佐訳 早川書房刊)


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禁断の惑星/1 今月の映画セレクトは、
“I robot(われはロボット)”特集。

 40代以上のロボット原像は『鉄腕アトム』ではないだろうか?次ぎは『ドラえもん』?。

 ガンダムやマジンガーZ,エヴァンゲリオン系の合体型は除くとして、日本の人気ロボットに共通しているのは、可愛らしく有益であり、子供の友達であること。異論を承知で書くのだが、この“可愛い”を愛するの感覚は、日本人特有の人形文化由来だと思う。

 人形文化由来だから、日本人の作るロボットはキャタピラの足ではなく、二足歩行し、楽器を奏でる。人の替わりに働くロボットと云う考え方からすれば、音楽演奏用にロボットを作るのはナンセンスなことだ。

 日本人の「ロボットを愛でる」気持ちは、江戸のからくり人形づくりと同質の感覚だ。

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 だが、西欧人のロボット観は、随分と違うようだ。SF映画の古典『禁断の惑星』の中のロボットは、“可愛い”とは違うコンセプトで設計されている。ロボットと云う言葉の語源“強制労働を意味する【robota】”だそうだ。長い奴隷の使役文化を持つ欧米人らしい考え方だと思ったりする。

 人が“神の似姿”として作られたように、人の姿は神の姿と同じとされる。人が人の似姿を作り使役するのは、神話のゴーレムのように「神の冒涜」とする感覚がある。人造人間は、ホラーの古典『フランケンシュタインの花嫁」のように、禍々しい。

 だからか?、アメリカ映画の中のロボットは、ロボット=怪物と云う隠れた恐怖が見え隠れする。

 それが、大きく変わった作品が登場した。それは、今冬封切られた『wall-e/ウォーリー』だ。『wall-e/ウォーリー』は、ロボットの中に産まれた“ゴースト”を肯定的に扱っている。『wall-e/ウォーリー』には心があった。このロボットの心を映画作品の中では“ゴースト”と表現される。古い器物には霊が宿る。進んだ思想で描かれた作品が、日本人の霊物観と重なる!!。これは、本当に面白いことだ。ロボット関連の作品は、私の人形趣味や、霊物趣味と重なり、考えることが多い。

そんなロボット関連のレビューを集めてみた。


●ウォーリー 12/12
●アイロボット 12/11
●イノセンス(邦画) 12/10
●AI 12/9
●アンドリュー 12/8

●わたしはアイ(コミック) 12/※
●プルートー(コミック) 12/※

※印、編集中です。

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トヨタ製ロボット

美しい地球のために!。極上の警告書!!/『WALL・E/ウォーリー』5

waii-e/1















●WALL・E/ウォーリー●
●監督:アンドリュー・スタントン
●製作総指揮 ジョン・ラセター他
●脚本 アンドリュー・スタントン
●音楽 トーマス・ニューマン
●DATA; アメリカ公開/2008年6月27日  日本公開/同年12月5日  97分

 今年のクリスマス映画の中で、一番愉しみにしていた作品。公開の翌日、高崎109シネマで鑑賞。一番大きなスクリーン!、少ない観客数で少し寂しい土曜の夜。だが、期待どおりの素晴らしい作品だった。さて、簡単にあらすじなど…。

●あらすじ

 西暦3000年ぐらいの地球。

 草木の見当たらない廃虚には、摩天楼がそびえ建っていた。その高層構築物はスクラップを固めたキューブを積み上げたものだった。物音のしない巨大廃虚の中を黙々と作業する物体があった。彼は地球を綺麗にするために700年前に人類が置いていったロボットだった。どんどん仲間が動かなくなった中、彼は奇跡的に作動していた。長い歳月、彼のシステムの中に、ソウル=ゴーストが宿っていた。

 彼=ウィリーは、ゴミの中からお気に入りをコレクションしていた、住まいは壊れたドッグ、環境破壊で巻き起こった砂嵐が吹き荒れる時は、ドッグの中で、大好きなミュージカルを見ながら、ダンスの練習をするウォーリー。ラスト・シーン、恋人同志がそっと指をからめるシーンを見るたびに、ウォーリーの心は悲しいような切ないような気持ちが溢れてきた。ひたすらスクラップの中から、動くもの、生きているものを探すウォーリー。ある日、冷蔵庫の下から芽を出した植物を見つける。

 そんなある日、地上に赤い光が動いているのを見つけ追いかけるウォーリー。それはイブとの出会いの始まりだった。>>>つづきは映画館でどうぞ!

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waii-e/2※多少のネタバレを含みます。

 冒頭の未来の地球のシーンに圧倒される。細部までデータの詰まった映像は、CGの行き止まりさえ感じた。実写とCGの判断はもう、肉眼ではつかない!?。

 小さな画面から流れるミュージカル音楽しか肉声はなく、BGMも流れない。物語の中盤まで、スクラップ回収ロボットの日常が描かれる。毎日、毎日繰り替えされるルーチン・ワーク。映像の余白は能弁にそれまでの過去を語る。あちこちで起動停止状態になっている多数のWALL-E型ロボット。宇宙への移住を勧める多数の看板。人類はゴミだらけの地球を捨てて、どこかに行ってしまったらしいこと。ゴミの多くは日用品、実際は数百年朽ちることのないゴミは少ないかもしれないが、そこんとこは割り引いて考える。

 そこに描かれた未来の地球は、大量消費の果て、地平線の彼方まで、ゴミ屋敷になってしまった台地の姿だった。涙が出そうになるような、悲しい風景だ。

 生き物はゴキブリしかいない。ゴキブリでさえ愛おしい…。地上の酸素が枯渇するような状況があったことを想像させる茶褐色の世界。 可愛いパンダも海のクジラも、象もライオンもいない!!地球…。広大なゴミの大地は、どんな地獄よりも冷酷で無惨な過去を秘めているように感じる。ここまで書くと、お分かりだろうが、本作『WALL・E/ウォーリー』は、まったく子供向けの映画ではない。あるかもしれない地獄を避けるための警告の映画なのだ。

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 地元のアマチュア音楽家が『ロボットさん』と云う曲で、日本童謡大賞を受賞したそうだ。先日、市内の音楽サークルのイベントに参加した時、一緒に練習させられた。

 ♪ロボットさんはすばらし〜♪

で歌い出す歌詞は、家事をしてくれるロボットが欲しいと思う子供の気持ちを表したものだった。さてさて、ロボットさんは素晴らしいのだろうか?。人が人たる由縁は、さまざまな手技を楽しむことにあるのではなかろうか?。機械化が進み、便利になった未来は理想郷だろうか?。人工臓器で永遠に近い寿命を手に入れた人間ははたして人間と言えるのだろうか?そんなことを考えながらも、私はロボットが好きだったりする。

 人でないもの、そして心が宿るもの…。

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  本作を見て、手塚治虫氏の名作『火の鳥』宇宙編を思い出した。

 人の心を宿したロビタの物語。永遠の時を生けなければならない呪いは、機械の身体になっても主人公を解放しない。人が宇宙に飛び出す時、人に喰い尽された地球の残骸が残るなら、人類は永遠に呪われるだろう。快楽、幸福と思うことが、他人の不幸の上に成り立っていないか?弱肉強食と云う生命ルールの中で、人類が果たすべき命題は、消費(破壊)が次ぎの生命連鎖に繋がるような再生と創造=再生産の構築でしかない。この数値眼界がすでに計算されている。だったら、どんな生活が人間の課題になるのか?本作『WALL・E/ウォーリ』を見て、考えて欲しい。特に経済界、政治家の人は必見の映画だと思う。

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waii-e/3

どこから心が発生するのか?/『アイ,ロボット/I, Robot』5

アイロボット/1















●アイ,ロボット/I, Robot●
●原案;アイザック・アシモフ
   (『われはロボット』『鋼鉄都市』から)
●監督;アレックス・プロヤス
●脚本;アキヴァ・ゴールズマン/ジェフ・ヴィンター
●出演;ウィル・スミス/ブリジット・モイナハン/ブルース・グリーンウッド/
    シャイ・マクブライド/アラン・テュディック/ジェームズ・クロムウェル
●DATA; アメリカ 米公開 2004年7月16日 日本公開同年9月18日
     1時間45分 20世紀フォックス

 2008年12月、世界は大恐慌の入り口にいる。この大恐慌は仕組まれた罠だとしたら…。世界終末2013年に向かう壮大な陰謀を私たちは目撃しようとしている。それは好むと好まざるに関わらず…。

と、ただ単に書きたかっただけです(汗)

 地球規模のエネルギー問題、食料問題を解決するのに、ロボットの早期実用化は有効性があるか?。はげしく疑問なのだが、バラ色の未来のパーツの1つにロボットが含まれるのは、疑問の余地はない。本作は人間型ロボットが実用化される近未来を描いている。2008年に、こんなボロボロは世界経済を考えると、SF作品のような未来はくるのか?。まず、簡単なあらすじから…。


●あらすじ
 
 西暦2035年。
 人間型のロボットが、使用人のように人間に仕える社会が実現していた。

 シカゴ警察のスプーナー刑事は、ある事件をきっかけに、ロボットに不信感を持つようになっていた。今朝は40年前のビンテージ物コンバースを履き、出勤しようとしていた。目の前をバッグを持ち全速力で走っていくロボットに遭遇。彼は反射的にひったくり犯と思い、ロボットを追い掛け確保する。だが、ロボットは女主人に忘れた薬を届けるために急いでいただけだった。大声で怒鳴る婦人、警察では上役に叱責されるスポーナー刑事…。だが、彼のロボットに対する嫌悪感は消えることがなかった。

 その時、スプーナー刑事の知人であるラニング博士が自殺し、彼の遺言でスプーナー刑事が自殺現場に呼ばれる。立体映像の遺言書は、謎めいたもので、博士の自殺は納得のいかないものだった。ラニング博士は、ロボット工学の第一人者だった。また、USロボティクス社の次世代の陽子頭脳を搭載した家庭用ロボットNS-5(ネスター・ファイブ)型を大量に出荷する予定だった。

 ロボット心理学者のカルヴィン博士の案内で、ラニング博士のラボを捜査中、スプーナーは部屋で隠れていたロボットを発見する。事情を聴取しようとするスプーナーの目の前で、ロボットは逃亡する。“ロボット三原則”に支配され、人間の命令に絶対服従するはずのロボットだった。逃亡したNS-5は博士を殺害したのだろうか?。それはありえないことだった。そして…。>>>つづきはDVDでどうぞ!。

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 この映画にある2035年まで30年足らず。果たして、数十年で、人間は重労働や家事労働から解放されるだろうか?。その時、仕事を奪われた労働者や家事従事者は何をしているのだろうか?。彼等はどこで何をするのか?。SFの古典であるアシモフの『われはロボット』は、近未来において起る可能性のある深刻な問題を呈示している。

アイロボット/2
「ロボットに心が宿ったら?」

 粘菌は意識があるように迷路を脱出する。かびの仲間なのに、動きは動物のようだ。手塚治虫氏の『火の鳥』の描写の中で、こんなシーンがあった。人と単細胞生物、単細胞生物と植物、植物と物質、そして元素と考えていく時、どこから意識が発生するのか?。所詮、元素の集合体でしかないものに、意志が宿る神秘…。本作も『火の鳥』同様、心のことを考えさせられる。青い目をしたロボット“サニー”の語り口は深く哲学的でさえあった。

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 今月のセレクト『ロボット』問題は、これからの人類の未来に関わる重大な問題や課題を孕んでいる。

 日本人は文化風土的に、お気軽にロボットを愛している。だが、伝統的に労働者組織=ギルドが尊重される欧米では、いささか違うようだ。工業の機械化=工業ロボットの実用化は、深い嫌悪感や警戒感がつきまとう。特にアメリカにおいては、自動車産業などの基幹産業の多くは短期契約による労働者によって支えられている。

 文句も云わず、給料を払う必要のないロボットが労働者の代用になれば?。それは、経営者にすれば理想的な労働力かもしれないが、そのロボットによって生産された製品を購入する消費者が貧困層ばかりでは、消費経済自体、破綻してしまう。これは、小学低学年の算数並みに簡単な理屈だったりする。

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 本作は、『ロボット三原則』違反のロボットのエピソードが複数進行する。だが、過去の事件、スプーナー刑事のロボット嫌悪が真の問題提起となっていた。電子脳の限界、「どちらか一方を選択する」と云うデジタル的な判断では、人の心のような曖昧なものは模倣出来ない。」と云うことだ。これは、電子脳の限界、“フレーム問題”として、エンジニアの間の課題とされている。本作のNS-5の電子脳は、まだ実用化されていない無限大の容量を持つ“陽子脳”と設定されている。

 ラニング博士の科白だが、「陽子脳の中、シノプスの破断された切れ切れの情報が、ある時再構成され、ゴーストが産まれるのではないか…」。ゴーストとは、自己の意志を持つ存在、ソウルと言い換えた方が云いのかもしれない。そして、物語の中で、ロボットを超えた存在、“サニー”が登場する。

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 物語の最後、丘の上に主人を失ったサニーが立っている。そのサニーを見つめる多くのロボットたち。それは、エジプトを旅立つユダヤの民のようでもあった。あるいは、解放を待つ奴隷の姿のようでもある。

 最初、DVDをレンタルした時は、退屈な物語のように感じたが、今回見直して、いろいろ考えてしまった。ロボットを人間の関係と考える時、良く出来た資料だと思う。

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アイロボット/3

われわれの愛もまた科学的であって…/『イノセンス 』5

イノハタリ





















●イノセンス innocence/Ghost in the Shell 2●
●監督・脚本;押井守
●原作;士郎正宗
●音楽;川井憲次
●声の出演;大塚明夫/山寺宏一/田中敦子/榊原良子/竹中直人
●プロデューサー;石川光久/鈴木敏夫
●DATA;I.G作品 2004年 90分 日本映画

 封切直後に高崎109シネマズで鑑賞。レイトショーの映画館の中には、数人の男性客と私だけ。ひっそりとしてせき払いもない空間で、思想の、迷宮のような物語が進む。器物の霊的な物語の世界は難解で思索的。作者“押井守”の見据える果ては、落ちて行く人…。


●あらすじ

 ロクスソル社のガイノイドが暴走。複数の死傷者が出る。所有者を殺傷後、逃走したガイノイドが、追跡していた警官2名を殺害。現場に公安9課バトーの姿があった。少女型のガイノイドは、バトーに破壊される直前、ダイイング・メッセージを残す。「助けて…」と。公安9課部長アラマキは、犠牲者の中に政府関係者が2名含まれることを重く見て、「テロの可能性あり」と、バトーに調査を命令したのだった。バトーと一緒に、警視庁から転勤してきたトグサも調査担当となる。
イノセンスP

 警視庁の鑑識ハラウェイは、ガイノイド“ハダリ”を分析し、この少女型アンドロイドはメイドには必要ないセクサロイドとしての機能を有していると言う。AI搭載の性的愛玩アンドロイドは違法性が高く、犠牲者はロクスソル社を告訴していなかった。音声バッファには「助けて」のメッセージがあった。その頃、ロクスソル社の出荷検査部社員が、惨殺される。死体の内臓は包丁で仕分けされ、冷蔵庫に保存されていた。警察は変質者、ヤクザの線を疑う。バトーは被害者の書棚に、少女の立体写真が残されていたのを見つける。

 出荷検査部社員殺害の容疑者として、ヤクザが浮上。バトーとトグサはヤクザ事務所に向かうが、撃ち合いとなってしまう。腕を強化サイボーグ化した組員が実行犯として逮捕されるが、裏にロクスソル社の陰謀があった。帰宅途中、いつも愛犬の餌を購入するコンビニで、バトーの電脳がハッキングされる。危うく難を逃れたバトーだったが、その時に行方不明の少佐草薙素子の気配を感じる。

 バトーとトグサは、ロクスソル社の製造工場への侵入捜査のため、北方のエトロフ経済特区に向かう。街は不可思議な祭礼のパレードの真っ最中だった。その中で、不用になった子供型アンドロイドが焼かれている。郊外にある情報屋のキムの屋敷を訪れた二人を待ち構えていたのは、何重にも張り巡らされた電脳の罠だった。そして…。
>>>つづきはDVDでどうぞ!

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イノ集合L




















 英会話教室でのこと。

 授業後の雑談で、P先生がロサンジェルスにいた時、流行していた日本アニメの話題になった。彼はもう日本に長い。7〜8年前に流行していたのは『セーラームーン』『ドラゴン・ボール』『Ghost in the Shell /攻殻機動隊』とのこと。12人生徒がいたが、誰も『Ghost in the Shell/攻殻機動隊』のことを知らない(!)。「それって面白いの?」なんて聞かれると、答えに窮する。どんな話題作であっても、興味のない人には「ない」も同然(!)。世界が認識で構築されているのなら、12人の生徒の世界に『イノセンス』は存在しない。

◆◆◆

 『イノセンス』は、2032年の近未来の物語。

 脳の電脳化によって、情報ネットと人体が接続され、自己と他者のコミュニケーションは、電子ツールによって共有されている。日本は再軍備化されており、常にテロリストの脅威にさらされている。社会は富裕層と貧困層に二極分化し、ダウンタウンはカオスに満ち、エスタブリッシュ層は、不老不死の世界へと移行しつつあった。そんなマトリックスとカオスが融合する世界で、主人公のバトーの属する公安9課は超法規的な活動を許されているのだ。

タチコマ

●前作での、草薙素子の台詞

「私みたいに全身を義体化したサイボーグなら誰でも考えるわ。もしかしたら自分はとっくに死んじゃってて、今の自分は電脳と義体で構成された模擬人格なんじゃないかって。いえ、そもそも初めから“私”なんてものは存在しなかったんじゃないかって。」

 TVアニメ版の『攻殻機動隊』シリーズでは、タチコマ(武装ロボット)たちが、逆の台詞を言っていた。「ボクたち機械と人間の差がゴーストの有無だとしたら、個別の個性が生まれつつあるボクらにも、ゴーストは存在すると考えられないかな?」※記憶で書いているので、実際の台詞と異なります。

 その後、タチコマたちは防衛のために自壊行動をしなけらばならなかったのだが、その時、皆で歌う唄は「♪ボクらはみんな生きている〜、生きているから、うれしいいんだ」だった。進化した機械たちはゴーストを有するのか?

 そもそも、“ゴースト(魂)”とは存在するのだろうか?
 人は何故生き、どこに行こうとしているのだろうか?

◆◆◆

 有史以来、人間は飢餓と闘い、災害と闘い、異民族間、部族間の闘いに明け暮れていた。生きることが困難な時代、死が余りに身近だったため、死の後の生を欲していく。それは、昼と夜のメタファーであり、毎日太陽は死に、朝に生まれるように、「死んだ人もまた再生する」と信じたのだった。宗教という虚構の誕生だ。

●部長アラマキの台詞

「孤独に歩め。悪をなさず、求めるところは少なく。林の中の象のように。」
 (ブッダ「真理のことば感興のことば」からの引用)

 この“孤独”とはなんだろう?

●情報屋キムの電脳メッセージ
「生死去来 棚頭傀儡 一線断時 落々磊々」(世阿弥『花鏡』からの引用)

 人と傀儡(人形)を分かつものは何だろう?
 人形は孤独を癒すのか?否、孤独を増す自己装置なのだろうか?

イノ犬




















 鑑識分析官ハラウェイは、“ハダリ”を破壊したバトーに、非難の言葉を投げかけ、「人形を愛することと、子供を愛することにどんな差があるのか?」と問いかける。実際に家庭を持つトグサは怒りを露にするが、バトーは反論しない。そんなバトーはバゼット・ハウンドを溺愛しているのだ。ハラウェイもバトーも義体化しており、ほぼ生身のトグサとな違う身体感覚を持っている。自分の一部が“機械化=人形化している”と考えられないだろうか?

◆◆◆

 『イノセンス innocence』の中では、ほとんど日常会話はなされない。

 “日常会話がない”のは、脳が電脳化していることが大きな理由だ。思考は常に大きなデータベースと接続され、感情表現は引用された語句の中に潜んでいる。トグサがエトロフ特区へ向かう時に、ミルトンの『失楽園』を引用する。それに答えてバトーは「お前の電脳も随分偏向しているな、オレは悪魔じゃない」と答える。悪魔はイブに禁断の知恵の実を与え、アダムとイブは楽園エデンを永久に追われる(失楽園)。人の文明の種は悪魔によって与えられたと説く聖書、ギリシャ神話では、人に火を与えたプロメテウスは永遠の苦しみを神に与えられている。

 科学=文明は神に反逆した“禁断の果実”なのか?

イノバトゥイグサ










●物語の冒頭

「われわれの神々もわれわれの希望も、
もはやただ科学的なものでしかないとすれば、
われわれの愛もまた
科学的であっていけないいわれがありましょうか」
 (リラダン『未来のイブ』から引用)

 義体が進み、肉体を失っても存在する草薙素子を愛するバトーは、深い孤独を懐に温めている。この孤独は、誰にでも潜んでいる生きる代償でもあろう。人の理想は、原初的は孤独ともにある「林を歩く象のごとく」だと、押井監督は引用する。

◆◆◆

 私は見る、私は記憶する、私は学習する、
 そして私が私であることが私の中で生まれる。

 しかし、私の記憶は、何だろうか?

 記憶には、実際の記憶と夢の記憶がある。夢の記憶がどんなに鮮明であっても、それは事実ではない。なぜなら夢の記憶は共有できないからだ。しかし、共有できない記憶が事実だと確証できないとしたら、共有できる夢は“仮想事実”だと言っても良いのではないだろうか?電脳ネットワーク世界のビジョン=夢は共有される。事実でない夢の世界。これはハリウッド映画『マトリックス』に引き継がれ描かれたとおりだ。ネオの棲んだ文明社会は何処にもなかったのだ。

 血生臭い殺人、それは生身の証拠であり、破壊されても血の流れないガイノイドと対照的に描かれる。人が科学の名のもとに、天然の進化とは違う道を選択した時、あらゆる可能性が生まれ、同時に神話的悲劇性が生じたのが『イノセンス innocence』の世界観なのだ。

 “科学の孕む、巨大な虚無”それとどんな風に向き合うのか?

 明るい未来を描けない、現在の不幸に、私は深く嘆息し、ネット空間に言葉を刻んでいく。そこにも孤独が友となっているのは、自明の理なのだ。

◆◆◆
イノ集合S ←クリックすると拡大します。

 圧倒的な映像美、地声コーラスの響き、極めてプリミティブな美しさは、白昼の明晰夢のようだ。冷酷な科学マトリックスの怖さ!この幻惑的な映像世界にトリップして、安定した精神状態を維持できる人は、相当にタフ!だ。

人ともの、ものと霊を考える上での基本資料!。必見!!

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