活字はこう読む? 雑・誌・洪・積・世

サブ・カルチャー好きの情報スクラップ。ささらほうさらと彼岸を往復。

March 2008

2008/March 後半は『少女映画特集』5

 最近のCMで、爽健美茶などで、白いドレスの女性が森や水の中で踊るシーンがある。続きを読む

ゴスロリだけど、耽美じゃない!?/『小さな悪の華』3

悪の華



































●小さな悪の華●
●監督: ジョエル・セリア
●出演;ルナール・デラン/カトリーヌ・ヴァジュネール
●DATA;2008/02/20DVD発売/1970年度作品/フランス/103分

 可愛いパッケージと新作のシールに騙され(笑)、うっかりレンタルしてしまった。“悪魔主義の少女”とくれば、アキバ系にお馴染みのゴスロリの世界。耽美な映像を期待したのだが…。さて、どんな物語かと云うと…。

●あらすじ

 フランスの田舎、修道院に付属した寄宿学校。消灯時間過ぎたベッドの中で、おしゃべりする少女がいた。二人はアンヌとロール、仲の良い友達だった。アンヌとロールの家は近所で、休日も一緒に遊んだ。ベッドの中で、アンヌは悪を薦める本をロールに読み聞かせる。ロールは大人っぽいアンヌの横顔をうっとりと眺めるている。アンヌは早熟な少女だった。彼女は、親に隠れてタバコを吸ったりしていた。そんなある日、二人は寄宿舎で、シスターがキスを交わすのを覗き見する。泣きながら、司祭に告げ口をするアンヌ。日曜の礼拝では、司祭が子供が性に興味を持つことを戒める説教をするのだが、アンヌは司祭の姿が裸にしか見えない。

 夏休みになり、アンヌの両親は彼女を屋敷に残し、バカンスに出掛けてしまう。うるさい両親から解放されたアンヌは楽しくて仕方ない。アンヌはロールを誘い、独身の農家の息子を誘惑する。我を忘れ、ロールに乱暴する牧童。難を逃れロールは逃げるが、アンヌは次ぎの悪戯を考えていた。アンヌはロールを誘い、悪意ある悪戯を繰り返していく。悪魔の儀式、放火…、ついには…。※つづきはDVDでどうぞ!!

********************************、

 38年前の作品。1950年代にニュージーランドで起きた若い女性二人の母親殺人事件を下敷きにしているが、物語と事件はまったく関係ない。少女の描き方と刺激的な内容で、フランスでは上映禁止となってしまった。本作には、カソリック教会の“文化的な支配”と云う社会的な背景があり、登場人物にも司祭や修道女が登場する。少女の両親は富裕層らしく、大きな屋敷に住んでいる。

 “反キリスト”、“悪魔の実在”と云った、アメリカのカルト・ホラーにあるような、霊的なマガマガしさはない。二人のしていることは悪魔主義ごっこで、どこかアニメの1シーンのようだった。本来なら、少年期(少女期)特有の、痛々しいほどの純粋さ、自己存在の不安が作品の底にあるはず。だが、本作のアンヌには、それは感じられない。なんだか、心底、嫌なガキな風に見えてしまう。ロールはアンヌの言いなりで、彼女の個性は余り描かれない。

■■■

 主役二人の設定はと13歳と14歳だったらしい。日本では中学2年生ってことになる。この年齢は本当に難しい。大人が大嫌いで、社会の矛盾にイラ立つ反抗期だったり、大人の秘め事が気になる思春期だったりする。年齢設定を頭に置いて観ると、二人のすることは、常識、良識からは逸脱はしているが、「そうかもね〜、、、」と、悪さの根っこが少しだけ見える。

 監督の予期したものとは違うだろうが、21世紀の日本の抱える闇と、この作品の持つ闇はどこか同質の臭いがした。主役の二人が富裕層の子女であり、悪戯の標的は貧しい層の男性達だった。日本の中学生がホームレスを襲撃する事件と、二人の少女のそれは、同じ根にから生えるものかもしれない。

■■■

 当時(1970)のファッションか、二人はミニ丈のワンピース。ニコニコと二人が自転車で走り回るのだが、白い化繊っぽいパンツが丸見えで、てんで無頓着!?。監督談話で、「制作資金を田舎の親戚に借りた」とあったので、着るものまでお金がなかったのかもしれない(笑)。特典映像で「自分自身の恨みを作品で晴らした」と屈折した思いを監督が語っていた。

 個人的な趣味としては、「もっと華奢で、虫も殺さないような雰囲気の女優さんがアンヌを演じたらな〜」と思う。だが、本作の魅力、強烈なパンチの効いたB級感は主役のルナール・デランのキャラ力によるものが大きい。付属の特典映像に、50代半ばのルナールさんがインタビューに答えていたが、彼女の中のアナーキーさは健在だった。

ブログランキング・にほんブログ村へ>Please on Click!!
◆ブログランキング参加中。乞う!クリック!

不思議で怖い!?サバイバル・ゲーム/『ローズ・イン・タイドランド』5

ローズ/2
































●ローズ・イン・タイドランド●
●監督;テリー・ギリアム
●原作;ミッチ・カリン『タイドランド』(金原瑞人訳、角川書店刊)
●脚本:トニー・グリゾーニ
●主演;ジョデル・フェルランド(ローズ)/ジェフ・ブリッジス(パパ)/
     ジェニファー・ティリー(ママ)/ジャネット・マクティア(デル/
     ブレンダン・フレッチャー(ディケンズ)
●2005年作品 日本公開2006年9/9 イギリス・カナダ映画 117分

『不思議な国のアリス』の翻案だとばかり思っていた作品。ファンタジー作品かと思えば、奇妙で背徳的、毒気に溢れた少女映画だった。主役の少女が可愛いので、他の怖い点はすべてOK!?


●あらすじ

 パパは元ロック・ミュージシャン、一人娘のローズは学校に通っていない。日課はパパのヘロイン注射のお手伝いと、何もしないママのお世話。パパには『不思議な国のアリス』を読んであげたりしている。そんなローズのお友達は、壊れた着せ替え人形たち。人形たちはローズの話し相手だった。

 ジャンキーで過食のママが麻薬性ショク死してしまう。ヘロイン中毒のパパは、動転して、ママをベッドの上で火葬しようとするが、ここはアパート(!)。ローズは「他の人の迷惑になるから止めて!」と火を消す。次ぎにパパが思い付いたのは、ママの死体を放置し、生まれ故郷のテキサスに帰ること。列車、バス、ヒッチハイクで辿り着いたのは、何もない草原の中に放置された廃屋だった。

 この家はローズの祖母、パパの母親の家だった。パパはいつもどおりヘロイン注射で昏睡してしまい、ローズは家の中を探検する。隠し部屋を見つけたローズ、そこにはおばあちゃんの綺麗な服や帽子、カツラなどがあった。おばあちゃんは綺麗な人だったらしい。沢山の遊び道具を見つけ、今度は外へ探検に行くローズ。黒ずくめの異様な女が歩いている。「幽霊!?」…。何もない廃屋、パパはバッドトリップからなかなか寝覚めてくれない。ローズは…。>>>つづきはDVDで!!

**************************

ローズ/1




















 この作品は、パッケージのかわいらしさに騙されてはいけない。ベースになっているのは、少女偏愛系ファンにとって神話的な作品『不思議の国のアリス』。主役ローズを演じたジョエルちゃんは、絵本から抜け出たような超〜可愛い女の子!このローズちゃんの住んでいる世界は、この世であってこの世でない!?境界域どころか、電波系ばかりの大人の中で、ローズは孤軍奮闘!援軍は壊れた着せ替え人形の首(笑)。けっこうどころか、とんでもなくアブナイ世界(汗)。

 『ローズ・イン・タイドランド』は、2005年9月のトロント映画祭に出品、同じ9月にはスペインのサン・セバスチャン映画祭で“The FIPRESCI Jury賞”を受賞している。日本公開に際しては、R15指定になった。この映画のアブナさは、子供には理解不能(?)じゃないだろうか?不健全と言う部分での規制なのか?贔屓目で見ると、金子国義さんや、バルティスの絵の世界が持つ死の香りのするエロスが全体を覆っている。登場人物は皆、社会からスポイルされたマイノリティだ。ギリアム監督の視線は、温かく、そして惨い。

 主人公のジェライザ=ローズと、4体の人形の声を演じたジョデル・フェルランドちゃんは、「普通の女の子を演じられて嬉しい」とインタビューに答えたそうで、やっぱり、お子ちゃまには、この映画のエロスは理解不能なのだ(笑)。良識的な人が見れば、悪魔的な映画だし、その筋の好みの人には堪らない映画だろう。しかし、ギリアム監督の意図は、異様な環境に生まれてしまったしごく健全な少女のサバイバルを描いているのだと思うし、彼もそのようにインタビューに答えている。

◆◆◆

 題名の『タイドランド』は干潟のこと。海と陸の間に広がるこの場所は、現実(陸)と幻想(海)が重なる場所を象徴している。どこまでも広がるように見えるテキサスの草原は、ローズの友達ディケンズには深い海になっている。

 子供の心のまま大人になれないディケンズの穏やかな心象風景に、少女のサバイバルが重なることで、幻想と現実が触れ、世界の破滅をもたらす結末(本当は違うけど)は、コントロール出来ない“イノセンス”の残酷さを感じる。このイノセンスの残酷さと、極端な信仰心による犯罪は、ナイト・シャラマン監督の『ヴィレッジ』にも共通している。しかし、味付けは『チャキー』!ホワイト・プアーの辛い現実が垣間見え、階層社会アメリカの断面を鋭くえぐっている。

 日本人にはキリスト教は皆同じに感じてしまうが、中には聖書の言葉1つ1つをそのままに信じ暮らす人たちがいる。その多くは貧しく、地方で共同体を作っていることが多い。本作の登場人物デルとディケンズはそんな原理的なキリスト教信徒だが、共同体とは隔絶した暮らしをしている。デルの妄想世界の怖さは、多くのアメリカン・ホラーに共通したイメージだ。今月TVで、『セブン』と『羊たちの沈黙』が放映されていたが、あの怖さがこの映画にもある。※ホラー映画として鑑賞した方が楽しめるかもしれない。

◆◆◆

 私的には大好きな映画だが、金子国義さんの『不思議な国のアリス』や四谷シモンさんの少年人形や、キリスト像が怖い人は見ない方が良い。悪夢にうなされること請け合い(笑)ます。

ブログランキング・にほんブログ村へPlease on Click!!
◆ブログランキング参加中。

耽美系でなく、怪奇系!?少女たちの館/『ミネハハ』3

ミネハハ





































●ミネハハ 秘密の森の少女たち
●原作:フランク・ヴェデキント
●監督: ジョン・アーヴィン
●出演;ジャクリーン・ビセット/ハナ・テイラー・ゴードン/ナタリア・テナ/アンナ・マグワイア 他
●DATA; 102 分/DVD発売日: 2008/02/08 第62回ベネティア国際映画祭上映作(2005)

 同じ原作から映画化された『エコール』と、ほぼ同時期に制作された『ミネハハ』。『エコール』はフランス/ベルギー、『ミネハハ』はアメリカ映画。同じ原作でも、随分違った出来映えになっている。「どっちが良い」と、言えないけれど、この作品はこのテイストで完結しているのだろう。さて、簡単なあらすじなど…。

●あらすじ

 街はずれ、高い塀に囲まれた寄宿学校がある。小さな赤ん坊が届けられる。赤ん坊の手足を仔細にチェックする校長。ここでは、幼い子から18歳までの少女ばかりが、バレエや音楽、楽器を学んでいた。

 ヒダラとイレーネはお互いが大好きだった。夜、二人でおしゃべりをしたり、学校の中を探検したり。二人は、この学校には何かした、秘密があるように感じられることがあった。休み時間、森の中の秘密の場所で二人はキスを交わす。美しい景色、二人はその場所を『ミネハハ=笑う水』と名付けることにした。ヒダラとイレーネの二人は、メイドに声を掛けられる。強引に作業部屋に連れ込まれた二人に、メイドにキスしていたことを咎められ、「云うとおりにすれば、校長に告げ口しないと」と脅かされる。二人もこの学校の生徒だったが、同性愛が発覚し、生徒から召し使いにされたと云う。逃げ帰る二人の後ろで大きな嘲笑が聞こえる。ある日、老婦人と貴婦人二人が学校を視察に来る。二人は校長は大金を渡し、「あなたの手腕を公爵は評価され、ほかの学校は閉鎖した」と云う。校長は隠し金庫に金を終うと溜め息をつく。若い貴婦人もここの生徒だったのだ。

 ヒダラとイレーネのクラスには好奇心の強いヴェラがいた。ヴィラに誘われて二人は図書室の裏にある校長の隠し部屋に忍び込む。そこには生徒の個人票が保存されていた。云われている自分の両親と書かれている記録が違うことに少女たちは驚く。侵入警報が鳴りだし、ヴィラだけが閉じ込められてしまう。その夜の食卓にヴィラの姿はなかった。イレーネたちはヴィラが脱走したと告げられるが…。それは惨劇の序章にすぎなかったのだ。>>>>つづきはDVDでどうぞ!!

*************************

 同じ原作の『エコール』は雑誌や写真集、原作を市川実和子さんが翻訳したものが発売されたり、なかなか盛り上がっていた。『エコール』はロリータものと云えば、ロリータものなのだが、運ばれた少女が棺の中に入っていたり、制服のデザイン、室内の様子などなど、どこかグリム童話のようなファンタジー感があり、奇妙で美しい作品に仕上がっていた。

 本作『ミネハハ』は、今月紹介した『小さな悪の華』と類似したシーンが多く、登場する少女も生々しい。ヒダラとイレーネは女の子だけの寄宿舎で、仮想恋愛状態になっている。仮想恋愛なので、本物の同性愛者にからかわれると、ビビって逃げ出してしまう。ここらへんの描写はリアルで、日本映画にはない雰囲気がある。

■■■

 『エコール』でもバレエの練習シーンがあったが、最終の舞台の踊りは小学校の学芸会風だった。『ミネハハ』では、最年長の少女の年齢設定が3歳ほど年長になっているせいもあるだろうが、バレエに関しては本作の方がずっと本格的だ。ヒダラが主役になるためにイレーネはある行為をするのだが、それが自分の思惑と違う運命を手繰ってしまったことに気づくイレーネは悲しい。

 校長役はジャクリーン・ビセット、他の女優さんも比較的見た顔の人が多い。映画のジャンルとしたらホラー・サスペンス(?)になるのだろうか…。本作での怪物は、最後に登場する公爵だが、金に飽かせて、少女を飼育している感があり、実に不愉快な内容と言える。ホラーの古典『コレクター』にあったように、自分の思い通りになる女奴隷を幽閉する感覚はどこからくるのか????極端な例とは云え、類似の事件は多々あるので、本当に怖いことだ。

 平ったく書けば、変態伯爵の人さらい、計画強姦、共謀者多数!?ってことになってしまうのが、怖い!!文学と云うラッピングに包まれた犯罪映画は、不健全さが底で牙を研いでいるようで、綺麗なほど怖いものだ(溜め息)。

耽美だけど、ちょっとアブナイ!?少女たち/『エコール』4

エコール/3






































●エコール●
●原題:Innocence
●監督/脚本;ルシール・アザリロヴィック
●原作;フランク・ヴェデキント
●音楽:;リチャード・クック
●出演;ゾエ・オークレール /ベランジェール・オーブルージュ/リア・ブライダロリ/
    マリオン・コティヤール/エレーヌ・ドゥ・フジュロール 他
●DATE;2004年 ベルギー・フランス合作 115分
 ゆうばり国際ファンタスティック映画祭コンペ部門正式出品作品:審査員特別賞受賞
 サンセバスチャン映画祭やストックホルム国際映画祭で作品賞/監督賞を受賞

 この作品を知ったのは人形専門誌に掲載されていた記事だった。『エコール=学校』を『エトワール=星』だと、勘違いして、純粋なバレエ学校ものだと思っていた(汗)。ところが、どっこい(?)、なんだかマニアな作品で〜〜〜…(※勿論私は大好き系です)。レンタルを待って鑑賞。

●あらすじ

 森の奥深く、誰も知らない何処かの古城の中。6歳から12歳までの少女、30余名だけがひっそりを学ぶ寄宿学校がある。ある日、少女たちの遊ぶ部屋に棺桶が運ばれてくる。中には下着姿の少女イリスが入っていた。彼女は何処からか、連れて来られたらしく、この場所のことは何も知らない。一番年長の少女がいなくなり、変わりに一番年下の少女が毎年運ばれてくるのだ。イリスが来たことで、少女たちは髪のリボンを変える。年齢別に色分けされたリボンが彼女たちの識別になる。少女たちの寄宿舎は7軒あり、各7人づつ住んでいる。面倒を見てくれる舎監の老夫婦、昼は学校で生物などの教科と踊りを学ぶ。最年長の少女だけが毎晩何処かに出かけるが、それが何処なのか?年下の少女には判らない。ある日、一人の少女が脱走をするのだが…。>>>つづきはDVDでどうぞ!!


***************************

エコール/1

 この本作『エコール』をモチーフに、人気人形作家の陽月さんが写真集を発売されている。お人形のように可愛い女の子たち…、これがなかなかやっかいだ。私は女(?=一応ネ)だし、可愛い女の子が大好きでも、誰も変態扱いしないし、されない(笑)。子供の頃からの人形好きで、家に古い人形がゴロゴロ&バラバラ(爆)していても、ま〜「ちょっと悪趣味」って思われる程度。でも、世の中にはロリータ愛好者の男性もいる訳で、私と同じ目線(可愛いから好き)で女の子を見ても、彼等は変態扱いされるかもしれないのが(うううう、、、お気の毒に)。

 だから、思慮のある男性なら、いくら可愛くても、学校帰りの小学生をウットリ見たり、小学校の運動会でビデオを撮影したりしてはいけない。そんなヤバイ真似は真っ当な社会人は出来ないはずだ。少女好き>秘めた願望を持って男性が本作を見たら、なんだか超お宝モノになるのかもしれない。ストーリーの関係なく女の子たちはパンツだけで水遊びに興じ、短いスカートのままでデングリカエシや側転などしている。皆、可愛くリボンを髪に飾り、真っ白な制服はシミ1つない。

 このいたたまれない雰囲気は『ピクニックatハンギング・ロック (PICNIC AT HANGING ROCK/1975/豪)』にも通じている。そうなのヨ、本作はいわゆる『少女愛』ものデス。

 
◆◆◆

 物語は極めて象徴的なものだ。森、迷路、水、蝶、白だけの衣服、高い塀etc.、謎めいたシチュエーションが、醒めない悪夢のようだったりする。閉ざされた森の中、汚いもの(一般世間)から隔離し、美しい少女を教育する。『教育』と書けば聞こえが良いが、なんだか『飼育』とか『調教』って雰囲気のヤバさがむんむんしている。マトモな読み書き計算などの授業があるのか?ないのか?とりあえずバレエらしい踊りの稽古を毎日しているらしい。

 外国のバレエ教育は子供の発育を考えて、ある程度の年齢までトウシューズを履かせない。だから本作の少女たちもトゥシューズを履いていない。ゆえに、踊れるものはどうしても限られてしまう。6年間も稽古しても、そこそこな踊りしか踊れない。そこがなんだか哀しい(汗)。だが、求められているのは踊りではないのが、なんだか薄々分かって、これがまた腹立たしいような切ないような…。

◆◆◆

 東西に限らず、子供たちは成長の過程で、この世のものとは思えないような愛らしさに包まれる。愛らしさの燃料は、絶対周囲の愛情だと確信している。だが、表層的な愛らしさは、妄想のえじきになりやすい。本作の意図するものは、女性監督の純粋な美意識と原題『イノセンス=無垢』が示すように、性的な存在になってはいけない少女たちの不可触なエロスだと思う。初潮を迎える年頃=12歳になると彼女らは解放される、それが証拠だ。

 本作は、ファンタジーとして見れば耽美だが、これを現実に置けば、本当に不健全な映画だ。こういった不健全さを芸術的なエロスに昇華できるのは、相当な高等テクニック、また見る観客も『エロス』って言葉が芸術と一体化している=お約束の文脈で見なければいけない。なんだかビミョウ〜〜〜。

 デモスキデスヨ。コンナエイガモ。※難点を言えば、踊りのステージはもう少し巧く踊って欲しかった。エロス=芸術が未消化!!(嘘っぽい)になってしまう。

ブログランキング・にほんブログ村へ>Please on Click!!
◆ブログランキング参加中。乞う!クリック!

エコール/2

少女の夢と異界への誘い/『ピクニック at ハンギング ロック』5

ピクニック/1



●ピクニック at ハンギング ロック
●監督;ピーター・ウィアー
●脚本:クリフ・グリーン
●出演; レイチェル・ロバーツ/アン・ランバード/ドミニク・ガード



少女映画の名作!1975年度作品『ピクニック at ハンギング ロック』。
以前、『澁澤龍彦愛好会』なんて不埒(笑)な同好会を友人三人と作っており、便箋や封筒、目録など作ったことがある。その時の友人の一人がこの映画の大ファンだった。公開直後ではなく、レンタルビデオで鑑賞。もう、記憶が薄れるほど昔のこと…。

●超簡単な内容紹介
1900年、オーストラリアで実際に起きた事件の映画化。全寮制の女学校の生徒たちが、ピクニックに出かける。その中に三人の女生徒と教師が岩山の中で行方不明になってしまう。

************************

ピクニック/2

制作年度1975年。「刑事ジョン・ブック」、「トゥルーマン・ショー」、「マスター・アンド・コマンドー」などのピーター・ウィアー監督作品だ。どの映画も興趣深いものだったが、この一番古いオーストラリア時代の本作は、格別素晴らしい雰囲気が漂う。19世紀の最後の年、1900年の2/14(聖バレンタインの日)に厳格な寄宿制の女学校の生徒たちが、タイトルになっている岩山にピクニックに行く。このシーンが美しく、そして怖い。パンフルートの音は、なんであのように不思議な気持ちにさせるのだろうか…。



実際に起きた行方不明事件を題材としている。なぜ、消えたか?どこに行ったのか?まったく分からない。前半は、思春期の少女たちの乙女チックでミステリアスな雰囲気が濃厚に漂い、萩尾望都さんのコミックの世界のような耽美な映像が続く。ビクトリアン期と言う大英帝国最後の繁栄を描く時、なんでこんなに少女たちが美しいのか?スローモーションや引きのカメラワークが丹念に時代の空気感を描いて行く。教師が「ボッティチェリのエンジェル」とつぶやいたミランダの中性的な美しさは必見!失踪事件後の少女達の動揺、目撃者の青年の言動、校長先生の苦悩なども、物語が実際に起きたものであることを実感させ、じわじわした恐怖心を感じる。

■■■

ピクニック/3

現場の『ハンギングロック』は映画の後、観光客で賑わっていたそうだ。観光写真で見たが、実際に行った人の印象は、同じ様な岩が重なる不気味な場所だと言うこと。映画ではミランダが岩に中に消えていくような場面があったが、そんなことが起っても不思議ではない場所とか…。



日本ではこのような現象を『神隠し』と言う。欧米では妖精の踊りの輪に入ると、妖精の世界に引き込まれると言われている。きのこが丸く自生した場所は、妖精の踊り場とされ、不吉なので近寄らないらしい。アイスランドの伝承、ヒドゥンピープルは隠れ里に棲む人のことだが、そこに行って帰らないこともあると言う。実際の神隠しは、何かの犯罪に巻き込まれたり、獣に襲われたり、事故にあったりetc. そんなことが原因だと思う。しかし、この事件の現場、『ハンギングロック』には事件になるような要素がほとんど見当たらない。オーストラリアには、大型の肉食獣は棲んでいない。また現地のアポリジニの人たちは善良で暴力的なところのない人たちだ。足を滑らせたなら、4人もいなくなるのは不思議だ。

■■■

ピクニック/4

この映画は、不思議な感覚に捕われる。謎ときは出来なくとも、「こんなことがあるかもしれない…」と思わせるオーストラリアの雄大な自然、そしてオーストラリアには不似合いな西洋文化な少女達の違和感。神隠しにあったとしても少しも不思議でないように思える。アポリジニの人たちは、自然に霊=神が宿ると、岩を信仰の対象にしている。有名なエアーズロックも彼等には大切な聖地なのだ。

アポリジニの人は『夢』を現実と同じように大事にしている。私たちは現実の世界を生きていると同時に『夢』の世界でも生きている。映画の冒頭『見えるものも、私たちの姿も、ただの夢、夢の中の夢』とナレーションが語る。この世は神の見ている午睡の夢、インド神話ではそう言う。この『ピクニック at ハンギング ロック』は、現実に下に、確実にある異界の存在をリアルに感じさせてくれる。何故少女たちが消えたのか?それは少女の時が、一瞬の夢でしかないから…、そんなことを感じてしまった。

未見のビクトリアン好き&ムー好きの人!この映画を見ないで死んではいけない!(笑)。DVDが発売されているので、大きなレンタルショップにはあるかもしれない。名作です!!

ブログランキング・にほんブログ村へPlease on Click!!

ピクニック/5

少女による癒しと言葉の霊性。/『綴り字のシーズン』5

綴り字/1




















●綴り字のシーズン/Bee Season●
●原作;マイラ・ゴールドバーグ
●監督;スコット・マクギー/デビッド・シーゲル
●出演;リチャード・ギア/ジュリエット・ビノシュ/フローラ・クロス/ マックス・ミンゲラ
●DATE;2005 アメリカ 105分 20世紀フォックス

 『リトル・ミス・サンシャイン』と似た構造を持つ作品。少女による家族の再生を描いている。人は人を傷つけたり、欺いたりする。日常の些細なことが、お互いの心にシミを残すことがある。少女の無垢な魂が良き力を宿す時、奇跡のような出来事を起こす。本作はイメージの視覚化が美しく、オカルト的な傾向に走らず、教養としてのヘブライ神学がモチーフになっている。あらすじと感想など…。(2007/5月アップしたものを加筆修正しています。)

●あらすじ

 イライザ・ナウマンは、北カルフォルニア、オークランドの郊外に住む11歳の少女。イライザの通う小学校では、“スペリング・コンテスト”の予選が始まっていた。イライザの父ソールは大学教授(宗教学)、優秀な兄アーロンを溺愛していた。毎晩アーロンにヘブライ語を教え、二人で弦楽器(バイオリンとチェロ)の練習を日課としていた。母ミリアムは科学者で帰宅が遅いこともあり、ソールが食事の用意をすることもあった。優秀な家族に囲まれた普通の少女、それがイライザの家庭での位置だった。

 イライザが校内“スペリング・コンテスト”に優勝し、地区大会にも優勝する。地区大会を応援してくれたのは兄のアーロンだけだった。だが、地区大会でのイライザの活躍が新聞に載ったことで、父ソールの態度が一変する。それまで、毎晩アーロンと過ごしていた時間を、イライザの暗記練習に打ち込むようになる。 
 
イライザには不思議な能力があった。言葉のイメージが視覚化し、また声となって多くの情報を教えてくれる。その能力に気が付いたソールは、イライザを大学の授業に連れて行き、カッバラーの奥義を教えていく。それは神の世界に合一するための秘術だった。

 そんなソールに、アーロンとミリアムは違和感を感じていた。アーロンは公園で知り合った美しい少女に誘われインド系のアシュラムに遊びに行くようになる。またミリアムは、家族には秘密の自分だけの家で過ごす時間が増えていくのだった。いつのまにか、家族の心がバラバラになってしまったことにソールは苛立つ。イライザは地区予選、州大会と勝ち進み、ついに全国大会へと進む。イライザは…。>>>つづきはDVDでどうぞ!

**********************
綴り字/2
 米国は他民族国家だ。共通言語“英語”は、多くの移民を繋ぐ接着剤になっている。昨年5月、WOWOWで“スペリング・コンテスト”全国大会のドキュメンタリーを観た。決勝に残っている子供達の多くがインド系、韓国系の少年少女達だった。

 アメリカ同様に、英語と言う言語の成り立ちもまた、複数の言語が混合している。単語の綴りは音声に関係なく変化するものも多い。語源によって違う綴り、ギリシャ、ラテン、フランス、イギリス古語、日本語由来のものetc.、それを覚える“スペリング・コンテスト”はタフな学習を必要とする。ドキュメンタリーで紹介されていたが、参加者の勉強はハードなものだった。

■■■

 イライザの一家はユダヤ人だ。母ミランダはカソリック教徒として育ったが、結婚とともに夫のユダヤ教に改宗している。父ソーンが長男のアーロンを溺愛している。このシーンがユダヤの長男主義を感じたりする。その期待の息子アーロンは黄色の法衣に身とつつんでハーレ・クリシュナ(ビートルズのジョージ・ハリスンもハーレ・クリシュナの信者だった)のようなインド系の宗教に入信してしまう。この映画は“スペリング・コンテスト”を描きながら、宗教を通したアメリカの家族の問題も描いている。

 宗教と書いたが、宗教そのものではなく、ナウマン一家の母も兄も、そしてイライザも何か違うものを観ている。それは各人の心の奥底かもしれないし、心の奥から、遥か天空の何処かに通じる光を観ているのかもしれない。その映像表現として『言葉』『音声』『綴り』はシンボライズされて描かれている。出色なのは、イライザが見る幻視!幼い彼女は音声から物の本質を知る希有の才能を持っているのだが、映像化された『言語』はファンタジックで美しい!!

 また、ミランダがイライザに万華鏡を渡すのだが、万華鏡も重要なキー・アイテムとして映像表現される。勿論、深層イメージは“マンダラ”であることは間違いない。ミランダは「光りを集めている」それは、交通事故で失った両親を取り戻すための儀式…。ミランダの集め光コレクションは哀しいほど美しかった。

 ソーンがイライザに教える“カッバーラ”の奥義は、仏教や神道、ヒンドーの“聖音(オーム)”が似ているのも興味深かった。

■■■

 イライザを演じるフローラ・クロスは美しい瞳と意志的な口元を持っている。彼女の聡明な容貌が印象的だった。なんと彼女は、パリで生まれ、パナマ、ハイチ、エルサレム、ニューヨーク、アルゼンチンと転居!!英語、フランス語、スペイン語が堪能なのだそうだ!

 ぼんやり観ていると、リチャード・ギアの存在に気を取られ、物語の本質を見逃してしまう。彼の役はもっと地味な役者さんの方が似合っているかもしれない。映像の細部、ちょっとした台詞の端々まで注意して観ると、本作の深さと美しさに圧倒される。「幸せ」って何?と問われて、何と答えるか?イライザの最後の選択で、本当の「幸せ」が少しだけ判るような気がする。

 ところで“apple”はなんで林檎なのだろう?

ブログランキング・にほんブログ村へPlease on Click!!
◆ブログランキング参加中。乞う!クリック!
プロフィール

A・C・O

NIhon Blog Mura
◆にほんブログ村に参加中◆

にほんブログ村 テレビブログ 海外ドラマへ

にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ

ブログランキング・にほんブログ村へ

クリック!ありがとうございます。面白かったら、1日1回、クリック投票頂けるとうれしいです。
Thanks comments!
●コメント大感謝!●
足跡ペタペタ!お気軽&お気楽にコメントして頂けるとうれしい。
Recent Comments
Blog Pet
ロンリーペット
  ● TBで広がる情報の輪 ●
毎度TBでお世話になってます。関連記事どしどしTBしてください。
starlight
livedoor clip
この記事をクリップ!
Amazon
サーチする:  
Amazon.co.jp のロゴ
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ